山ちゃんの食べもの考

 

 

その266
 



食は生命なり
「生命なきは食にあらず」とも云われますが、
人は多くの生命を頂く事で生かされている。
植物の生命も動物の生命も微生物の生命も、
土の生命も水の生命も空気の生命も、
すべての生命がつながって生かされている。
そんな「共生」の世界で生かされている。
「人は何を食べるのかによって決まる」とも云う。
肉体的な健康、長寿のみならず、
知性、思想、性格までをも決すると。
その食べ物の作り方、その食べ物の商いほう、
その食べ物の選び方、買い方、食べ方は、
その人の生き方、その考え方そのものであると。

                                   
(山ちゃん)
『食は生命なり』 【123】
 
『辰巳芳子 食の位置づけ』   より その1
 
■ はじめに
 
食すことは、いのちへの敬畏。
食べものを用意するとは、いのちへの祝福。
 
人という分際でありながら、いのちにかかわる、
食べ心地を自由になしうるとは、
思い仰げば、身にあまる光栄。
 
なぜなのか。
 
それは、生命の仕組み、はかりしれない御業に
参与させていただくから。
 
 
この、ある種の概括を前書きに載せるか否か躊躇があった。
なぜなら、主観に過ぎないのではないかとの反省であった。
しかし、この概括は二つの漉しあげを経てのものであったから、ためらいをこえることにした。
 
二つの過程、その第一の段階。
私はこのかた「人はなぜ食せねばならぬのか」という課題を持ち続けていた。
 
そして、自分なりに「それは呼吸と等しく生命の仕組みに組み込まれている」。
多少の体験と知識で言葉中心に組み立て、自己納得させていた。
しかし、「仕組み」という言葉の事実に、一歩も迫ることは不可能であったから、「私は何にも分かっていない」。
食に携わりながら、根拠が分かっていないという「自戒」を抱きつづけていた。
 
自戒は大切にした。
大切にしていないと答えを見逃すから。
しかし、積年の緊張であったようだ。
 
 
BSEの問題後、福岡伸一先生は『もう牛を食べても安心か』(文春新書)という本を刊行された(表題は出版社の好み)。
その中で、「私たちはなぜ食べ続けるのか」という章をことさらに立て、ルドルフ・シェーンハイマーの学説を解説し、その理由を明らかにされた。
 
この解明に出会ったときの感動は、人は年齢を超えて、高揚する実感であった。
その後、福岡先生は『生物と無生物の間』〈講談社現代新書〉を書いてくださった。
 
おかげさまで、私はやっと思いをかなえ、負う荷は減った。
荷が減ればゆとりが生じる。
ゆとりは視野を広げる。
 
二つ目は、広がった視野で見直した日本の行事文化。
 
特に五節句の食文化を含む行事様式。
この成り立ちの過程で自ずから見えてくるのは、共通して、生命への感謝と、ことほぎ、無事であることへの願いである。
願いを磨き上げたご先祖方の先導で、私は先の要約にたどりついた気もしている。
 
 
福岡先生は幼少時、昆虫好きでいらした。
「生命とは何か」という問いの萌芽は、このあたりから根付いていらしたのではないか。
この萌芽なくして、シェーンハイマーの論文に引き寄せられる気づきはおありだったのであろうか。
 
 
シェーンハイマーはユダヤ系のドイツ人。
亡命先の米国で、1937年、「人は食べつづけねばならぬ」理由を発表した。
世界大戦寸前である。
自明な命題ほど、あたためた年代は長いはず。
ドイツでの勉学時代からきざしておられたのではないだろうか。
 
シェーンハイマーは、自分の努力が東の果ての小さな国にまったく分野を異にして生きる80歳を超えた料理家を感動せしめるとは、夢想だにしなかったであろう。
 
 
人は個を生きるように見えるが、時空を超えた連帯を生きる。
本当の仕事、本物の生き方は、世界の果てまで一人歩きし、貢献なしうる。
真の法則であり、まことの希望はここにある。
人間の真骨頂であろう。
 
本書、『食の位置づけ』を偏するにいたった理由をここで書かねばならぬ。
 
 
現今の「食」をめぐる諸問題、八方ふさがりに至った根拠。
私の如き世間知らずでも、現今の事態、他国から食料を得ることが困難になる等々、絵に画いたように見えていた。
 
それゆえに、13年前に「良い食材を伝える会」を起こし、いずれに備えた。
そして、よりひしひしと感ずるに至り、「大豆100粒運動」も起こした。
 
私が先を予感なしえたのは、親娘2代80年、「いのちと食の関係』を真直ぐ見ていたから。
私利私欲なく見ていた。
加えて、8年に及ぶ戦争体験であろう。
 
EUは8年前の食の安全の国際会議で、「我々のアイデンティティーは食である」と開口一番明言した。
 
我々の食料自給率は、無から有を生まねばならぬ程ひ弱になっている。
ご先祖様にも、先の大戦で、我々を守るために生命をささげた当時の若者達にも、申し訳ないことだ。
 
国の施策、経済界の動向、各個人の意識。
食に対する向き合い方に共通して、根幹的に不足しているのは「位置づけ」の甘さであるように見られてならない。
そこで、まず「位置づけ」という言葉の示すところを明らかにして、欠落を反省したいと思う。
 
 
数種の哲学書によれば、「位置づけ」とは、あるものに「場」を与えること、「命題化」すること、「判断」づけること、「評価」すること、となる。
つまり、「位置づけ』るとは、物事を「判断づけ」ることである。
「判断」とは、ある主体が、公共的真偽を問いうる考えを作り出すことである。
すなわち「位置づける」とは物事を「正しく判断し、評価する」ことであり、「公共的真偽を問いうる考えを作り出すこと」とあった。
 
私は、この位置づけを、
第一に、「なぜ、食べなければならないか」、そして「何を、どのように食べねばならぬか」という命題を通して、そしてさらには、この章の後の付した「人はなぜ食し続けねばならぬか」という福岡先生の学説で示したい。
 
この学説を理解すれば、しようとすれば、「なぜ食べねばならぬか」、「食はいのちと呼応するはずのものを食すべきこと」も自ずから納得できる。
最大の位置づけであると考える。
 
 
第二に、一の位置づけを、暮らしの中でどのように実践するか。
日本の食文化を踏まえて考えたい。
 
料理をする立場から、日本の地理的条件、この条件をつくる風土性。
その風土にあって、よりよく生きよう、生きてゆきやすく生きようとして食してきた、食の体験統計。
すなわち食文化を、21世紀を、生きていきやすく生き得るためにたどってみたい
 
 
第三に、「人の生命を確かに守り育てうる食べものの向こうには、必ず信頼に足る人物が存在している」との考えから、誠実な生産者をお示しする。
この国の現況にあって、せねばならぬ仕事を貫く方々の生き方を、その言葉から推考していただきたい。
 
このような方々は他にもおられる。
こういった方々をどのようにしたら支え得るか。
これが課題である。
 
 
最後に、「食は、魂をも支える」との事実から、東京カトリック神学院の伊藤幸史神父と「食の霊性(信仰の方向性)」との関わりについて対談させていただいた。
 
食にたずさわり得る、真の意味と幸福。
 
一次生産者をはじめとする、食にかかわるすべての方々。
独居から、屋台をひく人々、金もうけまで。
 
各々の立場で、ふと手を休め「位置づけ」をしていただきたい。
 
互いに、顔と顔を合わせることはなくとも、その光栄と平和を共有したいと願います。
 
2008年7月
 
 
本書の副題を「〜そのはじまり〜」としたように、「食の位置づけ」は私どもにとって、その端緒についたばかりであると考えております。
私どもは、ひとつ、「経済の中でも食の問題」、ひとつ、「人間の欲望とどう向き合うかという問題」について、引き続き考察を続けていきたいと思っております。
 
 
 
 
第1章 食の位置づけ  〜そのはじまり〜
 
■ なぜ、食べなければならないか
 
人はなぜ、食べなければならないか。
 
十数年来考え続けて行き着いたのは「食というものは呼吸と等しく、生命の仕組みに組み込まれている」と言うことです。
 
「生命の仕組み」といったとき、それは実存的な意味合いを持ちます。
すなわち、肉体だけでなく、魂をも支えるということです。
呼吸をしないと死んでしまうように、人は食べなければ生きていけない。
肉体と魂のレベルにおける、これは厳然たる事実です。
 
その事実をまず認めること。
先人の命がけの営みのおかげで私たちはいまこのように食べ、生きていくことができる。
だから私たちもこのいのちをより良い方向に進化させて、次の世代に渡していく責務がある。
そのことを思い定め、食べることを積極的に受け入れて生きていかなければならない。
そういい続けてきました。
 
 
食べていくということは、本来厳粛なこと。
大事業なのです。
にもかかわらず、それを励ましていくとしたら「なぜ食べなければならないか」がはっきりしないと、根本的に励ますことができません。
 
私自身を励ますことができないし、他人を励ますこともできない。
だからずっと考えていました。
その「生命の仕組み」というものをもう少しか科学的に知りたいと、強く希求しました。
 
 
それが1937年、アメリカの科学者によって解明されていたことを知ったのは、福岡伸一先生の『もう牛を食べても安心か』〈文春新書〉という本からでした。
この本を読んで私は何といったらよいか、興奮を禁じえなかった。
 
「食は呼吸と等しく生命の仕組みに組み込まれている」と言い続けてきた、その「仕組み」そのものが本の中で解説されていたのです。
 
分子生物学者である福岡先生は、ナチズムから逃れドイツからアメリカにわたったユダヤ系ドイツ人科学者、ルドルフ・シェーンハイマーの学説に注目し、それは生物学史上のコペルニクス的転回であり、まったく新しい人間観、生命観への転換だったと位置つけていらっしゃいます。
 
それはかみくだいて言うと、食べ物というのは単なる「油差し」ではなく、「食べることによって個体の身体は、分子レベルで日々刷新される」ということです。
 
1937年というのは、第二次世界大戦に突入する前の、国際問題がいちばん切迫していた時期。
そんな時期に、ドイツからアメリカに逃れてきたシェーンハイマーは「なぜ食べなければならないか」という自明のことを研究した。
 
食べることの意味を栄養学的なところに求めるのでなく、シェーンハイマーのいう「身体の動的平衡」論で考えると、「他のいのちの分子をもらって代謝回転すること」、すなわち、「自分のいのちと他のいのちの平衡」であると福岡先生はおっしゃっています。
 
「食べることは、他の命とつながることである」と。
これについてはこの章の後にくる福岡先生の解説をお読みいただきたいと思いますが、まさに食の根本であり、本質であると思います。
 
 
 
■ 食べることで感じるいのちの手応え
 
私たち人間は、「人間であるという自然を生きる」。
これを大切にせねば。
大切にするとは、形而上的にも、形而下的にも、自己をも、他者をも理解しようとするところから始まると考えます。
 
年々歳々、観なければならぬこと、対処対応することは変化するから、生涯の命題でありましょう。
手ごたえのある食べ方をする。
こんな当たり前のことの基盤には、どうしても必要な認識と考えます。
 
次なる大切は、その認識を暮らしに生かす場合のこと。
風土における季節の推移と、人間の身体の代謝生理は、手をとりあっている。
生きてゆきやすく生きるには、この車の両輪に狂いがないか。
懸命が求められるところです。
 
私どもをめぐる旬を、食文化と栄養学の両者を重ね合わせ、食生活に取り入れること。
まめや課な心で取り組むと、旬の意味が見えるようになる。
ここまでやりこめば、それは楽しみとなる。
いそいそした祝福です。
 
 
第2章に、四季の常食の一例を示しましたので、参考になさってください
ここでは少し特殊な例を引いてみます。
何らかの欠乏状態で、必要成分を摂取した場合の反応です。
 
北海道の西別川の源流は、摩周湖の伏流水によるものです。
この地は冬期マイナス40度。
鮭の試験場で働く人々は現代でも冬は新鮮な青物は入手困難らしい。
8月、この伏流水にクレソンが繁る。
「雪解けがはじまったら、あれを摘み、丼一杯おひたしで食べます。
食べる前と後では、からだがまったく変わるんですよ」。
その方のクレソンをみやる目のいとし気であったこと。
 
私が青物で、反射的に背中の温かくなったこともある。
正月の七草粥。
粥を火にしかけて庭の芹場、はこべ場など七草を揃え、刻んだものを即、粥に投じる。
 
私は青物不足の自覚はなかったが、七草揃うと、何かがあったのである。
これは何だと思ったほど、触発的な反応であった。
 
その他、長期絶食状態の方に、野菜コンソメを届けたとき、「指の先までしみいった」と感謝された。
この方がどのようにして、病院の公衆電話までたどり着いたか。
よほどのことと思う。
 
 
私の玄米スープを飲まれた例。
寝たきりの排便困難患者(浣腸と摘便で、される方も、する方も大困難)が、3週間飲み続けていたら、ある日自然排便があり、以降、亡くなられるまで、その状態を保つことができた。
 
この方の例にならい、玄米スープを飲んだ方々は、すべて排便困難から救われた。
そして多くの方々は、意識が鮮明になられたのである。
 
食べ物と身体組織の呼応は、現在のところ完全解明不可能ということだ。
認知症で我が子の顔も覚えていない方が、家から届けられたスープを一口飲み、「おいしい!」とおっしゃった顔は、病気になられる前の笑顔そのものであったとか。
 
人と食は、やはり切り離せないものなのだと思います。
 
 
 
■ 生命が受け入れがたいもの
 
「本来的な生命の仕組み」を理解すると、BSEはもちろん、放射能も遺伝子組み換え食品も環境ホルモンも、すべて「生命が受け入れがたいもの」になります。
これらはすべて、本来の自然の仕組みに入っていないもの。
そういったものが、生命の仕組みの網の目をすり抜けて、人間のいのちを脅かす。
 
放射能の問題でいえば、青森県六ヶ所村の使用済み核燃料処理工場は、原子力発電所が一年で出す放射能をわずか一日で海と空に排出するそうです。
自然界にはない大量の放射能で海や大地を汚染する。
政府や企業は自然界の放射能に比べたら少ない量だし、希釈拡散されるから人体の許容範囲内である、と言う。
 
でも、希釈されても食物連鎖の仕組みでまた何千倍にも濃縮されて還ってくるんですね。
食べ物から取り込まれた放射能は半永久的に残って、細胞、遺伝子を傷つける。
その人自身の身体だけでなく、子孫の身体まで蝕むのです。
 
日本は海に頼って、海のものを食べて生きてきた民族の国です。
海の命脈が尽きるときは、この国の命脈が尽きるときです。
経済の発展とか利便性とか、そういうものを超えて、一番大切にしていかなければならないものを、みんながもっと根本的にわからなければいけません。
 
原子力発電の問題については、他にも存在しますが、エネルギー供給と地球温暖化の視点から、『原子力市民年鑑2008」(原子力資料情報室編・七つ森書館)を引用します。
 
 
原子力発電は炭酸ガスを出さないので地球の温暖化が防げるというウソは、すでに化けの皮がはがれている。
事故のときはもとより、日常的にも放射能を放出し、大量の放射能のごみを残す原発こそ、最大の環境汚染といってよい。
 
放射能をまき散らす原子力発電が「地球にやさしい」などということは、ありえない。
また、出力の増減が困難で、電力需要の変化に合わせた調整には火力発電所や揚水発電所を必要とし、事故で止まったときの代替電源も必要となる。
原発を増やせば火力発電所も増えてしまうのだ。
 
地球の温暖化を本気で防ぐには、大量のエネルギーを消費する現在の産業や生活のあり方を見直すことが、どうしても必要だが、原発は、エネルギーを効率よく利用し、エネルギーの使いすぎをなくすることの邪魔をする。
その意味でも、温暖化対策とはなり得ない。
 
『原子力市民年鑑2008」(原子力資料情報室編・七つ森書館)より
 
 
チェルノブイリ原発の事故の後、放射能で汚染された地域に住む母親がわが子に牛乳を飲ませている映像をご覧になった方も多いでしょう。
汚染された草を食べる牛の乳には、何万倍にも放射能が濃縮されています。
 
お金があれば別の牛乳を買って飲ませたいが、それもできない。
身体を傷つけることがわかっている食べものを「全部召し上がれ」と食べさせなければならない母親の表情。
その悲痛を他人事とは思わないで、自分の中にも宿すようにしなければいけません。
 
大国が国益に固執し、「欲」の方向づけができない。
人類は欲を自覚し、これを乗り越えないと幸福に至れないと考えます。
欲本来の目標を示せる方が欲しい。
 
そして、毎日食べるものが傷ついているとなれば、やがて人は天の父を説けなくなり、仏の慈悲を解けなくなる。
そのとき人の心の荒廃はいかばかりでありましょう。
 
 
いま、学校で「心の教育」が大事と言われています。
いじめや自殺、少年の凶悪犯罪の多発に対応して言われはじめたことです。
でも、抽象的に「心の教育」なんて言ったって、言う人もする人も、教えてもらう人も難しいと思う。
 
そのときに、生命科学が示す、45億年といわれる生命の歴史。
これに思いを馳せることは大切だと思うのです。
 
 
この地球にすむ生物はたったひとつの細胞から生まれ、環境の条件による度重なる進化のうちに、あるものはアメーバのままに留まり、私たちはこうやって人間の形をとるに至った。
その果てしない歴史を考えると、存在の大事さは、もう、ただの大事なんていうもんじゃない。
 
「生命仕組み」を本当に理解すると、自分のいのちも他人のいのちも大切にしなければならないことが、自然にわかると思うんですね。
 
 
自分のいのちは自分のものであって、自分のものではない。
縦のつながりにおいても、横のつながりにおいても他のいのちとつながっていることが真に理解できれば、隣人を自分のように愛しなさいという教えは、教えという枠を超え、この宇宙の成り立ちとして納得できるはずです。
 
 
愛し合うとは、何と深く、広く、力強いことでしょう。
 
そこには、はかりしれぬ、自由と、平和がみなぎるはずです。
 
私どもが、愛し合うはずの成り立ちであるならば、その可能性を備えているはずです。
 
この可能性を、より信じて、その日を希望いたしましょう。
 
 
 
 

 

ごらんいただいたことを大変ありがたく感謝します。

 

生命の農と食を考える
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池田 優

 

 

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