山ちゃんの食べもの考

 

 

その271
 



食は生命なり
「生命なきは食にあらず」とも云われますが、
人は多くの生命を頂く事で生かされている。
植物の生命も動物の生命も微生物の生命も、
土の生命も水の生命も空気の生命も、
すべての生命がつながって生かされている。
そんな「共生」の世界で生かされている。
「人は何を食べるのかによって決まる」とも云う。
肉体的な健康、長寿のみならず、
知性、思想、性格までをも決すると。
その食べ物の作り方、その食べ物の商いほう、
その食べ物の選び方、買い方、食べ方は、
その人の生き方、その考え方そのものであると。

                                   
(山ちゃん)
『食は生命なり』 【128】
 
『辰巳芳子 食の位置づけ』   より その6
 
 
● 畠山重篤
 
豊かな漁場として知られる三陸の海。
中でもリアス式海岸の入り江で養殖される牡蠣は、身が締まって甘いので有名だ。
 
宮城県気仙沼市唐桑町に住む畠山重篤さんは、父親の代から親子3代にわたって牡蠣や帆立の養殖業を営んでいる。
 
北上川河口で採れる「宮城種」の稚貝を石巻市の万石浦で半年寝かせ、地元の舞根湾で2年養殖する、
湾口が狭い舞根湾は、外界がどんなに荒れていても穏やかで、さらに海が深いため牡蠣がよく育つ。
海のエキスをたっぷり蓄えた大粒の牡蠣は、まさに世界に誇る味。
 
そして、牡蠣の立派さに加えて、畠山さんの名前を全国に広めるきっかけとなったのが「森は海の恋人」運動だ。
 
良い牡蠣を育てるには豊かな広葉樹林が必要、と、猟師たちで山の植林活動を始めたのは平成元年のこと。
その後、植林活動の普及はもちろん、小学生の体験学習を積極的に受け入れたり、「リアス」の語源を求めてスペイン・ガリシア地方を訪れたりと、牡蠣にかける情熱と探究心はとどまるところを知らない畠山さん。
 
いったい牡蠣の何が、それほど畠山さんを惹きつけるのだろう
 
 
 
■ 「森は海の恋人」運動で伝えたかったこと
 
――改めて、「森は海の恋人」運動についておしえてください
 
牡蠣っていうのは、汽水域にしか育たないんです。
汽水域とは、海水と淡水が混じり合う海域で、山間を通ってきた川の水が海に流れ込むところ。
山紫水明のところが多く、牡蠣で有名や松島や宮島の景色が美しいのは、皆さんご存知だと思います。
 
山を流れてきた川の水には、腐葉土の養分がたっぷり含まれていて、そこに大量の植物プランクトンが発生する。
その量は、普通の海の30倍といいます。
1個体の牡蠣は1日約200リットルの海水を吸い込む。
 
よく小学生に「牡蠣にエサはやるんですか」と聞かれます。
「いっさいやりません。牡蠣は海水と一緒にプランクトンを吸って大きくなるんです」と答えると、「猟師さんはドロボーみたいですね」と。
本当にそうなんです。
 
だから、養分をたっぷり含んだきれいな川の水が海に流れ込むことが大切で、そのためには腐葉土を作る落葉広葉樹林がなくてはいけない。
 
牡蠣だけではなく、わかめや海苔の生育にも必要な養分だということもわかった。
そこで猟師達が集まって、大川上流の室根山に広葉樹を植えることのしたのが「森は海の恋人」運動なんです。
 
 
――わかりやすくて、素敵なネーミングだと思います
 
大川流域に住む歌人の熊谷龍子さんに良い名前をいただきました。
平成元年、気仙沼湾を見下ろす室根山に何百枚もの大漁旗をはためかせて、植林活動を始めました。
でもその運動の目的は、実は木を植えることだけではありませんでした。
 
昭和40年〜50年にかけて、気仙沼湾で赤潮が大発生したことがあった。
牡蠣の身が血の色になったのです。
要因は環境汚染なんです。
 
工場排水、台所排水に加えて、農業や林業もよくない排水を流していた。
ちょうど化学肥料、農薬、除草剤が大量に使われ始めた時期。
それらを使うと農地の生物がいなくなるだけでなく、海の生物もだめになるなるんです。
 
川をどんどん上流まで遡っていったら、いろんなことが見えてきました。
さまざまな生活、さまざまな人間模様が。
結局、皮の流域に住んでいる人達と価値観を共有しないと海がよくならない。
そのことに気づきました。
 
これだけ海に囲まれている国なのに、これだけ日ごろ海の幸を食べているのに、海のことに関心がない人があまりにも多いんですね。
縦割り行政の弊害もあるんでしょう。
教育も縦割りだから、横のつながりで考えられない。
 
これは良くないと。
行政に携わる人々にも目を向けさせたいと、45歳のときに作戦を立てた。
環境団体とはちがう、牡蠣をつくり続けた生活の蓄積から見えてきた現実をどう伝えるか。
 
「森は海の恋人」運動の本当の目的は、森と川と海はこういう風につながっているんですよ、ということに気づいてもらうことにありました。
腐葉土のプランクトン云々はその後の話。
 
いくら木が大きくなったって、流域に住む人間の価値観、意識が変わらなければ、川は汚れて、海はだめになってしまうんですから。
海にとって一番大事なのは、人間の生き方そのものなんです。
 
 
――小学生の体験学習も積極的に受け入れていらっしゃいます
 
意識を変えるには教育が大事です。
特に小学生の教育が大事だと思って、牡蠣の養殖体験学習を始めました。
稚貝のついた帆立の殻をロープにはさむ作業から、「あずさ丸」という木の船に乗っていかだに吊るしにいく作業までを子どもたちに体験させる。
 
子供たちはよく聞いていますよ。
「牡蠣が食べるプランクトンを、君たちも食べてみる?」 とプランクトンネットで海の水をすくって差し出すと、嫌な顔をしながらもおそるおそる飲んでみる。
 
「川に溶け込んでいる養分を最初に吸収するのがプランクトンで、農薬や台所排水で川を汚すと、食物連鎖でいずれは君たちがそれを食べることになる」と言うと、子ども達は急に神妙な顔になります。
 
1000キロの植物プランクトンが100キロの動物プランクトンになり、それが10キロのいわしになり、1キロの鰹になる。それを君達が食べる。
たった1キロの鰹に、1000キロもの植物プランクトンが濃縮されているんだよ、と伝えるんです。
 
水俣病の例も出して、どんなに薄めても濃縮されるんだ、と。
体験学習の後、届く手紙には、「朝シャンの回数を減らしました」「農薬を減らすよう、親に言いました」などと書いてある。
 
子どもから親へ、親から行政へと伝わって、環境保全型農業に関心が高まっている。
 
 
 
■ 牡蠣は人間の営みそのもの
 
コナラ、トチ、カエデ、ブナ・・・・・・。
植林活動も19年目に入り、これまでに植えた木は50種以上、その数は3万本にもおよぶ。
 
「森は海の恋人」運動は、共感した猟師たちの手によって、全国にも広がっている。
体験学習で教えた子どもたちは1万人以上。
 
その積み重ねが、大川上流の室根村(現一関室根町〉に住む村民の意識に変化をもたらした。
 
農業形態は少しずつ環境保全型に切り替わり、生活習慣にも変化が現れた。
洗剤やシャンプーはもちろん、ハミガキの量まで控える子どもたちが増えたというのには驚く。
 
心配していたダムの建設も取りやめになり、赤潮が出ることも亡くなった湾には、牡蠣や帆立のみならず、海の生物が以前より生き生きと育っている。
 
森、川、海の分かちがたい関係に、まず人間が気づくこと。
それぞれを、またそのつながりを守っていこうと意識し、努力すること。
そんな人間の変化が、海や川の生物のいのちをつないでいる。
 
平成16年度からは、京都大学に設置されたフィールド科学教育研究センターで教鞭をとることになり、いっそう忙しい日々を送る畠山さん。
 
牡蠣の歴史、種類による違い、薬効、栄養など幅広い知識と独自の経験による見識を披露した著書『牡蠣礼賛』(文春新書)も話題になったが、新たな著作も構想中だという。
 
牡蠣への愛情と環境への思いはますます高まる一方だ。
 
 
――京大で教鞭をとっておられます
 
聞いてはじめてビックリしたんだけど、林学と水産学って、一度も交流したことがないらしいんです。
学問の世界も本当に縦割り。
 
京大にフィールド科学教育研究センターっていうのができて初めて、森、里、海をつないで考える「連環学」というのができた。
 
僕が頼まれたのは、全学科からくる1年生たちに「気づき」を与えて、学問をするきっかけをつくってほしい、ということでした。
最初の授業のとき、中学の教科書で見て僕のことを知っている、という学生が何人かいました。
大学の入試で「森は海の恋人、とはどういう意味ですか」という問題が出た、という学生もいる。
 
世代を超えたつながりと広がりを実感しました。
特に希望を感じたのは、100人以上集まった学生のうち、3割は法学部の学生だったこと。
 
六法全書には、自然界の仕組みは書いてない。
でも、環境をめぐる裁判が多いいま、そこを考えられる人材はとても重要だとおもいます。
キャリア組みの官僚みたいに、寿司が好きなのに寿司ネタはどんな海で育っているかメカニズムを知らないようではだめなんです。
 
 
――今後、また新しいことを考えていらっしゃるとか
 
「生命体にとって鉄とは何か」と言うテーマの本を出すんですが(取材時、2008年7月に『鉄が地球温暖化を防ぐ』として文芸春秋から刊行)、これは「鉄で地球温暖化をすくえるか」ということを真剣に考えた本です。
 
鉄を海にまいて、植物プランクトンを増やし、海に大森林を作る。
専門的になるので、詳しくは本を読んでほしいのですが、うまくいけば温暖化対策の大きな柱になるかもしれません。
 
それと、牡蠣のことで言えば、フランその養殖法を取り入れて、牡蠣のカップを深く、丸くする方法に挑戦しています。
牡蠣は帆立の殻につけて養殖しますが、育っていく過程で込み合って歪な形になるものが多く、そういうのは商品にならない。
 
でも、最初どんなに形の悪い牡蠣でも、周囲に障害物がなければ本来は丸くなっていくもんなんだ、ということを発見しました。
そこで、養殖1年目で一端牡蠣を引き剥がし、障害物のない環境においてやる。
そして2年目で収穫する。
 
どれもが今まで日本では、見たこともないような、形のいい牡蠣になるはずですよ。
45年やってきて、いま改めて牡蠣に惚れ直している感じ。
僕の中では、いまが「牡蠣ルネッサンス」なんです。
 
 
――環境のことも、牡蠣のことも、大きな視野で考えていらっしゃいます。
 
牡蠣を育てながらふっとわいた疑問。
なんで「リアス」式海岸がいいんだろう。
なぜ川の水が流れ込んでいる静かな湾だとよく育つんだろう、という疑問が、さまざまな旅に連れていってくれた。
 
旅の途中で植物プランクトンに出会い、腐葉土が運ぶ鉄の存在に出会い、森、川、海、人間のつながりに出会って・・・・・・。
 
昔、あさりなんてジャリみたいにごろごろ獲れるものだった。
でも、海が汚れてからめっきり減ってしまいました。
北朝鮮からの輸入がストップしたら、たいへんなことになります。
 
何かが獲れなくなると、水産行政はあわてて稚貝や稚魚を放流したりする。
でも、生物が育つ下地をつくらずに子どもだけを放流したって意味がないんです。
 
牡蠣、貝は縄文時代から人間が食べてきたもの。
特に牡蠣は生で食べてきたということが象徴的です人間も牡蠣も自然環境の循環の中にある。
 
人間の営みの中で自然につくり出され、分解されるものなら、牡蠣のとって栄養になる。
あまりきれいすぎてもいけないけれど、化学的な汚染は手の施しようがない。
牡蠣は人間の営みそのものなんです。
牡蠣が生きられない環境は人間にとっても生きづらいもの。
人間がやさしくなると、牡蠣も甘くなる。
そのことをみんなわかって欲しいです。
 
 
 
● 福士武造
 
青森県浪岡町。
東に八甲田山、西に「津軽富士」の愛称で知られる岩木山を望む津軽平野で、厳しい気候条件にも負けず、有機農法の米作りに励む生産者がいる。
 
「誠実な生産者」と辰巳さんも信頼を寄せる福祉武造さんだ。
辰巳さんが親しい人への御中元として贈っている「古代福米」は、辰巳さんの命名による福士さんのオリジナル・ブレンド米で、北国の厳しい自然環境から出現した古代米と人気の高いあきたこまちを苗床の段階から一緒に栽培したもの。
 
自然の力のみで育てた米は生命力に富み、酸化が遅いため味が落ちないのが特徴だ。
炊き立てはもちろんのこと、2〜3時間経つといっそう甘みとコクを増すのも、この米ならでは。
販売はほとんどが直接販売で、「美味しかった、またお願いします」と電話で注文を受ける瞬間が何よりうれしいと顔をほころばせる福士さん。
 
現在新しい栽培法を試験中という圃場を訪れたのは5月初旬。
案内してもらった苗床には、「半日がかりの仕事を7分で終わらせる」という自家製の撒水設備と撒水機が取り付けられ、青々と美しい苗が田植えの時期を待っていた。
 
 
 
■ あらゆるものにサイクルがある
 
――この苗が実る頃には、水田のそこかしこに蜘蛛の巣が張り、天然のネットとなって害虫から稲を守ってくれるとか
 
夏にはオニヤンマにシオカラトンボ、秋になると赤トンボが空を舞います。
雨上がりに蜘蛛の巣についた水滴がキラキラ反射して、それはきれいなもんです。
農薬を使うと、まず見られないですね、こんな風景は。
たわわに実った黄金の稲穂に蜘蛛の巣が張り、寄ってくる虫を捕食する様子を見ていると、自然のサイクルっていうのは偉大なものだなあとしみじみ思います。
 
農薬を使えば害虫も簡単に除去できて、不要な草も根絶やしにすることもできるけれど、自然界には虫も草もあって当然のもの。
強力な農薬は自然のサイクルの一部を断ち切ってしまう。
そして、新たな問題の発生原因をつくることになるんですね。
 
 
――最初から無農薬にこだわって?
 
最初からこだわっていたわけじゃないんです。
もともと農家の息子で、昔は有機栽培しかなかったから、両親が農作業をする姿を見て、つらいものだなぁと子供心に思っていた。
自分が農地を継いだのは、農薬や化学肥料が一番使われた時代。
私も他の農家と同じように慣例農法で農薬を散布していました。
 
ところが30代半ば、農薬を続けて3日間散布した後起き上がれなくなったんです。
ひと月ぐらいからだがだるくて、どうにも動くことができない。
こういう農業を続けていくのは難しい、と真剣に考え始めた頃、EM菌に出会いました。
 
有機農法には好気性の微生物が主流。
その欠点を補う形で出てきた嫌気性のEM菌は、これまでの有機農法のやり方をガラリと変えてくれた。
使い方も簡単で、安全安心なうえ、価格も安い、
これならやれる、と思いました。
 
やっていくうちに、いろいろなことに気づきました。
たとえば、いくら有機肥料でも養分過剰っていうのは良くない。
人間も高タンパク、高脂肪の食事が続くと生活習慣病になるように、植物も窒素過剰だと抵抗力が弱まって病気や虫がつきやすくなるんです。
それに手をかけ過ぎるのもダメ。
 
自分の力でななにもしない「ダメ息子」になってしまいますから。
一番大事なのは観察することだと、自然に教えられました。
温度と湿度の管理を欠かさず、養分もほどほどに与えて、様子がおかしいなと思ったら、早めに対策を打つ。
 
毎日観察していると、米に限らず植物の状態がよくわかってきます。
そして、あらゆるものにサイクルがあることが感じられるようになる。
自分も含め、大きな循環の中で生かされているんだと思うようになりました。
 
台風や強い雨の後、田の見回りをすると、倒れた稲が懸命に起き上がろうとしている姿に出会います。
その生命力の強さ。なんともいえず感動します。
病床で苗をわざと踏むのも、ストレスに負けないよう根を張って、抵抗力の強いがっちりした苗になってほしいから。
植物はみんな自然の課かで生き抜く力を持っている。
 
 
 
■ 有機農法を次世代へ
 
現在福士さんが持つ水田のうち、有機の認証を受けているものは4.5ヘクタール。
県の特別栽培の認証を受けているものが5ヘクタールで、その他が6ヘクタール。
実際にはすべての水田で化学肥料は使わず、農薬も7〜8割減で栽培しているが、あえて認証を取っていないのは周囲との兼ね合いあってのこと。
 
商業的なことよりも人間関係を大事にし、自分自身と作物に誠実なのが、福士さんの農業だ。
 
そんな福士さんが、いま新たに取り組んでいる栽培法がある。
生産調整で水田を休むとき、これを乾田にして別の作物を栽培することができないか、という思いから開発した「地下灌漑システム」がそれだ。
 
ちょうど2週間前に排水したという圃場を見せてもらう。
地面はひび割れ、ちょっと前までは水田であったことが嘘のように乾いている。
この方式を使えば、米、大豆、小麦の輪作が可能で、生産量が増やせるだけでなく、連作障害を防ぎ、雑草対策も容易になるという。
生産性の向上、有機農法への転換、そして省エネ、省コストを可能にする画期的なシステム。
その先には、食料自給率アップと農業の復興という大きなビジョンがあった。
 
 
――「地下灌漑システム」とは、どういう栽培方法なのでしょう
 
乾田、湿田の転換が容易な「地下灌漑法」と、省エネ、省コストの「V溝直播栽培」を組み合わせた栽培法です。
 
「地下灌漑法」は、従来の明渠(めいきょ)でなく、地下に穴の空いたパイプを埋め込んで、そこから水分を供給する方式です。
給水時はパイプの穴から染み出した水が地下部から徐々に上昇し、排水時にはまた地下部から排水されるので、作物に必要な適正水分を地下水位の高さで調節できるわけです。
 
雨や雪による加湿の影響が少なく、土が乾きやすいので、微生物の動きが活性化して有機物の分解も早まります。
 
パイプの周辺には砂利や砂、帆立の貝殻を敷き詰めてフィルターにします。
これで用水に入り混ざって入りがちな雑草の種の侵入を防ぐことができる。
何より下から水が来るので、田圃の地面全体が天然のフィルターになり、ヒエやアゼナ、コナギといった極小の種子も、圃場全体に広がることはありません。
 
乾田にしたいときは、代掻き後排水すれば20日で圃場内をトラクターで走れるほどになります。
乾田、湿田の転換が素早く簡単にできるので、生産調整のあるなしにかかわらず、水稲、大豆、小麦の輪作が可能になる。
水稲と豆、水稲と小麦を交互に作ることで、生産量が増えるだけでなく、連作障害を防ぐというメリットもあります。
 
「V溝直播栽培」というのは、苗床を作らず圃場に直接籾<種米>を播く直播」栽培のひとつで、V型の溝を掘ってそこに籾を播いていく方式。
稲の倒伏が少なく、直播の中でもいちばんコストも手間も栽培技術も必要としない方式です。
 
ただ、排水が悪いのと雑草発芽率が高いのがネックだった。
それが、地下灌漑法を組み合わせることでどちらもクリアできるとわかったんです。
 
直播栽培は岡山あたりではやっている方式ですが、青森では気温が低いせいでなかなか難しかった。
でも、どんどん人手が少なくなるこれからの農業を考えると、この方式を生かしたい。
 
発芽に必要なのは適正な温度と水分
地下灌漑法だと、発芽に適正な温度になったとき、適正な水分を供給することができる。
 
溝は稲が倒伏せず、鳥害を防ぎ、しかも発芽しやすい深さと幅に設定する。
それらを考え合わせた上で、低い温度でも発芽する青森県の品種と古代米を、今比較試験している最中です。
 
 
――食料自給率の問題と同時に、農薬の問題、さらに後継者の問題までクリアできるのは画期的です
 
国の食料自給率の問題は深刻です。
100%自給できているのは米だけ。
さつまいもは100%を切りました。
大豆、小麦、とうもろこし・・・・・ほとんど輸入に頼っている。
 
バイオ燃料の影響でとうもろこしなど輸入飼料が値上がりした影響もあって、2007年度の自給率は何と39%。
旱魃など地球環境の変化で世界的な食料不足が懸念される中、政府はもっと抜本的、積極的な対策をとっていく必要があると思いますが、農家の側ももっと提案していくべきでしょう。
 
水稲と畑作、圃場のローテーションによる栽培法を行えば、米と大豆、米と小麦を同じ圃場で作れる。
とうもろこしも可能でしょう。
休耕田で家畜の飼料を作れば、それだけでも確実に自給率はアップするんです。
 
これからの時代、農家としていちばん不安なのが後継者の問題。
時代の担い手が不足し、農地が荒廃することがもっとも心配です。
 
このやり方だと苗床を作らないからハウス栽培に必要な電気や水を節約できるし、田植えの必要もないからほとんど人手もコストもかけずにできる。
連作障害も起こりにくく、雑草の繁殖も少ないから、手をかけずに有機農法に転換していくことが可能なんです。
 
食べ物の安全・安心が脅かされる昨今、有機農業に興味を示す人は増えてきている。
この追い風をもっと大きな風にしなければ。
ほとんど一人でも、しかも素人でも有機農法ができるこの方式を入り口にして、一人でも多くの人が農業の担い手になってくれたと思います。
 
人間も稲も、植物も動物も、大きな自然のサイクルの中で生かされている。
農業はもともとそのサイクルを利用して行われたきたもの。
生産者や消費者のからだを損なう農業のあり方はおかしいし、それは自然のサイクルそのものを損なうことでもある。
これからの農業は、すべてが共存できる形であるべきだと思います。
 
 
 
● 大久保文靖
 
1942年生まれ。創業1905年、約100年の歴史を持つ、(株)大久保醸造店の3代目にご主人。
大量生産全盛のこの時代にあって、あえて早く大量煮という製法は取らず、国産の原料で人の手の届く範囲のしょうゆとみそを造りつづける。
信州松本の気候風土を生かし、ご主人自ら「博物館的もろみ管理法」と呼ぶ丁寧な醸造で、時間をゆっくり呼吸した自然体のしょうゆは、辰巳さんをはじめ、一流の料亭や割烹、蕎麦店の主人が惚れ込み、愛用者が多い。
 
 
「調味料はいいものを選ばないとだめよ。とくに発酵調味料のみそ、しょうゆ、酢。つくり手によって、全然味が違うから」
 
辰巳さんは、ときに食材以上に調味料の大切さを強調する。
それを端的に示す逸話がある。
あるとき、母の代から使い続けてきたみその味が違うことに気がづいた。
製造元に尋ねると、国産大豆の価格と供給量の問題で、輸入大豆に切り替えたという。
 
味の違いはもちろんのこと、日本の食文化の要であるみそ、しょうゆを守っていく意味を、辰巳さんは強く訴えた。
その後、製造元は一大決心をして、一部ではあるが国産大豆でのみそズ栗を再開したという。
 
日本の大豆の自給率はわずか5%。
豆腐や納豆などの加工食品、みそ、しょうゆなどの調味料の多くが海外の大豆に頼り、大型機械を使った大量生産が当たり前の時代。
だからこそ、よけい辰巳さんは「国産」と『まっとうなつくり方」にこだわる。
それは、味へのこだわり以上に、日本の食を守りたい気持ちの表れでもある。
 
そんな辰巳さんが何年もかわらず使い続けているのが、(株)大久保醸造店のうす口しょうゆ「紫大尽」。「吸いものや雑煮はこれでないと味が決まらない」と絶大な信頼を置くしょゆをつくっているのは、3代目当主、大久保文靖さんだ。
 
「おじっさまの代からの、昔ながらのつくり方を守っているだけ」。
さらりといってのける大久保さんだが、国産の原材料、昔ながらの製法にこだわり、「人の手でできるだけ」の量をつくり続けるのは、強い志がなければできないこと。
 
しかし、それだけの手間と時間をかけて仕上がったしょうゆの、透き通った紫色と上品な香り、きれいな味には、辰巳さんだけでなく一流の料亭や割烹の主人がほれ込み、最近では生産が追いつかない状態が続いているという。
 
松本駅から車で10分、美ヶ原の柔らかな稜線を眺めつつ「里山辺」にある大久保醸造店を訪ねると、白い蔵の周囲には鼻をつく『しょうゆ臭さ」ではなく、ほんのりと上品な香ばしい香りが漂っていた。
 
山々、田畑の緑と澄み切った空気、豊かな水。この自然と人の手が、2つとない味を育んでいる。
 
 
 
■ やっぱり、しょうじきっていうのはいい
 
――なんでこんなにいい匂いなんでしょう
 
床にも壁にも炭を入れているからかな。
私はしょうゆやだからってカビ臭いのは嫌でね。
きれいな味のしょうゆを作るには、蔵も工場もきれいなほうがいいと思っている。
 
とはいえ、微生物を扱うのが醸造所。
悪い菌もつきやすいし、塩を扱うから鉄も錆びやすい。
で、いろんな人に聞くと、「埋炭」といって床下に炭を置く方法がいいという。
それで、この蔵を建てるとき、床下に15トン入れてみた。
 
具合がいいので工場のコンクリートの床下にも壁にも全部炭を入れたんだ。
おかげで天井にも梁にも一切カビは生えないね。
それに天窓を開放すると、建物全体を空気が対流して必要以上の湿気を取り込まない。
自然の循環のおかげだね。
 
 
夏でも14度が保たれているという地下倉庫には、地下室特有のこもった感じはまったくなく、清浄な空気と清潔な壁、天井に囲まれて、搾りたてのしょうゆが出荷を待っていた。
 
何気なく1本取り出したしょうゆを、大久保さんが明かりに透かして見せてくれる。
はっとする色の美しさ。
「これは紫大尽より安いしょうゆだけど、きれいでしょう。うちのしょうゆは、みんなこんなふうに透き通っているんだ』。
 
倉庫には米みそや玄米みそも。
大久保醸造では昔から、製法の似ているしょうゆとみそをいっしょにつくり続けている。
 
しょうゆの原料は大豆、小麦、米、塩。
江戸時代中期から「本醸造」の基本的な製法は変わっていない。
 
蒸かした大豆と煎って割砕した小麦を混ぜ、種麹を加えて適温多湿下で「しょうゆ麹」にし。調整食塩水に麹を混ぜて、桶に仕込む。
これを発酵熟成させたものが「もろみ」。十分に発酵し、熟成したもろみをゆっくり圧搾し、火入れ、濾過すれば『しょうゆ』の仕上がりだ。
薄口しょうゆは仕込みの最後(後熟工程)甘酒(または米麹)を加えるのが特徴。
 
現代では主原料のほか、副材料を添加しているしょうゆも多いが、本来は大豆、小麦、食塩、米以外の原料は必要ないものなのだ。
 
もろみを仕込んで発酵させるしょうゆ蔵には、ずらりと並んだ杉材の木桶。
桶底は檜。
あめ色に光っているのは、大久保さん自ら一つ一つの桶に渋を塗ったのだという。
年季の入った桶が多く、中には「慶応4年」の元号が刻み込まれたものもあった。
 
ゆっくりと熟成を待つもろみの上に板が渡してあり、この上に人が上がって、「備前櫂」という櫂を使ってかき混ぜる。
発酵を促されたもろみは、ブツブツをあわい音を立てる。
 
工場にはコンピュータ制御の「自動製麹装置」、大豆を蒸かす機械が設置され、しょうゆ蔵とはうってかわって近代的な設備が目立つ。
 
原材料置き場には、産地と等級がしっかりと記載された大豆、小麦、食塩、米。
地元松本平のツブホマレ、伊那のギンレイ、タチナガハと県内産の豆に加えて、青森のオクシロメやリュウホウ、新潟のエンレイなど。
 
どの銘柄も、大久保さんは等級物しか使わない。
小麦は松本平の白根。塩は沖縄のシママースなどの食塩。
甘酒用に使う米は、国産の米に混ざって一部タイ米表示の袋があった。
 
 
――長野県内産の大豆や小麦、国産の米に混ざって、タイ米の袋がありますが
 
平成5年にタイ米騒動があったでしょう。
日本の米が不作で、タイ米が市場に出回った年。あの時は本当に困った。
何しろ使ったことがないし、お客さんをごまかすのも嫌。
 
苦肉の策で3種類の仕込み味噌を作ったんだ。
オール国産と、米が国産で大豆が中国産のと、タイ米に中国大豆を使ったオール外国産。
で、正直にお客さんに説明して、選んでもらった。
 
もちろんオール国産は高い。
フタを開けてみれば、お客さんの90%がオール国産を選んだね。
やっぱり正直って言うのはいい(笑い)。
 
でも、そこで発見があったわけだ。
初めて使ったタイ米がさらさらして、きれいで、案外いい米だったんだ。
それから毎年、扱い方を忘れないように、少しだけタイ米を使ってみそを作るようにしている。
どんな米が来ても技術者として受けて立てるように、一年にいっぺんはつくろうと。
 
日本の自給率を考えると、これから先何がどうなるかわからないから。
役所任せにしちゃいけない。「備え」は大事だ。
 
 
――木桶には「慶応4年」と書かれているものもありました
 
桶は昭和42年に古いのを作り変えたり、新しいものに変えたりしたんだがね。
いちばん古いのは140年位前のもの。
今じゃこんなにいい杉と檜を使った桶は手に入らない。
木桶を使うこと自体稀少だからね。
 
大手メーカーはもちろん、保険所だって樹脂性かステンレス製にしろと指導した時代があった。
でも、しょうゆは塩を使うから、金額的に衛生面は大丈夫なんだ。
 
それに、いい菌っていうのは、十分に手入れした木桶の隙間にたくさん住んでいるもの。
大事に守っていかないと。
もろみの櫂入れも、人の手でやる。
「博物館的もろみ管理法」って、自分では呼んでいるがね(笑い)。
 
 
――かたや「製麹装置」は非常に近代的です
 
昔は「麹ぶた」を使っていたが、あれは大変。
この自動製麹装置は昭和41年、長野で2番目に早く入れたんだ。
豆麹でも麦麹でも米麹でもしょうゆ麹でも、いい麹ができる。
昭和63年まで使ったけど、さすがにガタが来て、平成10年にまったく新しい方式を使ったこの装置に切り替えた。
 
そのとき、うちは何を目的にするしょうゆ屋かをよく考えたんだな。
小手(零細)が大手のマネをしてもだめ。
安価で均一な味を作るんじゃなく、田舎の香ばしさを、もっと全面に出していこうと。
だから、大きな装置にして工事を作る面積は倍になったけど、つくる量は前と同じ。
 
生産比率としては半分になったわけだが、辰巳先生をはじめ、しょうゆを通して懇意にしてくださる方の後押しがあるからできる。
精神的な意味でのね
 
 
――いろいろな種類の大豆がありますが、選ぶポイントは?
 
「性がいい」ってことかな。
見た目がきれいでも、性が悪い豆は使わない。
豆腐に向く豆、しょうゆに向く豆、みそに向くなめ、全部ちがう。
いい豆は蒸かした後、煮汁がふくよかで旨いんだ。
 
国産の豆の中でも、できるだけ地元の豆を使いたいと思っているが、気に入らないものは使わない。
つぶほまれはいい豆だ。
 
 
 
■ 自然の掟に向き合って
 
大久保醸造店の創業者は祖父。
勤勉で、木を大切にする人だった。
小さい頃、近所の人たちによく「われ、山辺のしょうゆ屋の孫か。あそこのしょうゆは旨いなあ』と声をかけられた。
 
学校を卒業してすぐ、当たり前のように家業を継いだ。
時代は戦後の困窮期から高度経済成長期へ。
しょうゆの製法も人工的で効率のよいやり方に変わっていった。
 
きっかけとなったのは、2代目である父親の言葉だ。
「戦前のしょうゆはこんな味じゃなかった」。
父は口癖のようにそういった。
戦後のしょうゆの味しか知らない大久保さんが違いを尋ねると、「うまくいえないが、風味も違うし、色も赤かった」。
 
「戦前の、本当のしょうゆの味を味わってみたい」。
そんな思いが、持ち前の研究心と一徹の気性に火をつけた。
 
『もろ味を3年寝かせたらどうなるか」とやってみたら、味も香りも色も格段によかった。
「味1年、香り2年、色3年」と確信した大久保さんは、濃い口しょうゆを3年熟成した。それが『紫河仙』。
1年に1回しか酢ぼれず、注文に応じられないときは「申し訳ない。待ってください」と素直に頼む。
 
再仕込み醤油はもろみをつくるときに食塩水の代わりにしょうゆを使う「2段仕込み」が普通だが、大久保醸造の「甘露しょうゆ」は4段仕込みの濃厚な味。
 
「紫大尽」は最後に加えれ甘酒が決めて。
甘酒を造るとき温度が下がると酸っぱくなるため、仕込み中は深夜の確認作業が欠かせない。
従業員には頼まず、大久保さんは今も自ら蔵をのぞきに行く。
 
なるほど、どのしょうゆもちょっとなめれば「手塩にかけた味」とはこういうもの、と納得できる深い味わいだ。
さらに、色の美しさ、香りのよさは、辰巳さんも言う「純正そのもの」。
『待つ』ことができる人にだけ贈られるご褒美、とも思える一品だ。
 
 
――しょうゆとみそ一筋でやってきて、一番大事にしていることは何でしょうか?
 
大前提として、いい材料を使うことは何より大事だが、実のところ、「醸造」っていうのは「微生物」と「時間」がすること。
人間にできるのは「微生物にいい環境を作ることくらいしかない。
 
だから「づく」がいる。
「づく」っていうのはこの辺の方言で、こまごまとよく働くっていうような意味だが、いくらハイテクな機械を使っても、人間がやるのはローテクで、五感をフル稼働しなくちゃできないこと。
麹のにおいをかぐ、見る、触る、発酵する音を聞く、なめてみる・・・・・・。
 
自然のおきての中で、素直な気持ちで物理現象に向き合って、やれるだけのことをやって後は待つ。
それが一番大事かな。
 
 
――工場内の床はオゾン水で洗浄、使用済みの樽やびんは完全回収してリサイクルするなど、環境にも非常に配慮していらっしゃいます。
 
こういう仕事をしていると、地球上の現象っていうのは本当にシビアだとわかってくる。
何を見ても一分の隙間もない。それが鈍く動くか瞬時に動くかの違いであって、表面に現れたものは混沌としていても、そこには完璧な「仕組み」が存在する。
 
今の、これからの地球環境を考えたら、省エネを考えたり、過剰なる化学物質を避けたり、ゴミを出さないようにしたりするのは当たり前。
平成12年に太陽光発電を取り付けたら、100ボルトで使う電気のほとんどはまかなえるようになったよ。
 
家の柱や壁、塀にも、柿渋や渋を塗ったり、炭を混ぜたりしている。
もちろん、全部自分で。
 
 
――これから目指す方向は?
 
しょうゆってのは、実は贅沢品だと思っている。
だって、立派に主食になる穀類使って調味料つくって、滓は食べないんだから。
だけど、これまで日本人が香辛料なしに生きてこれたのは、みそ、しょうゆがあったからなんだな。
 
たんぱく質、アミノ酸を含んだ発酵食品のおかげで、野菜を上手に食べてきたので、肉をあまり食べなくても健康でやってこられた。
安いもの、均一な味に慣らされず、大事にしていかなくちゃいけないと思う。
 
最近だと薄口しょうゆにブドウ糖果糖などの液糖を混ぜてる醸造所もあるが、それは醸造所じゃなくて「調合所」。
甘酒がもろみと「酵化」して、味のきめ細やかさを引き出す。
糖類を加えても、そういう反応が起こるわけがないんだ。
表面的な甘さだけを見るからそういうことになる。
これからは、これまで以上に本質的な部分を見ていかないといけないと思う。
 
それと、今注目しているのは玄米みそ。
玄米っていうのは、種子のガードが強いから麹生やすのが大変。
でも、大豆と玄米が合わさってできる物質は特別なもので、ものすごく養生になるってことがわかったんだ。
 
こういう食べ物を食べていけば、人間長く健康でいられるっていうもの。
ま、うちの食卓に昔から上がっているものだがね(笑い)。
背伸びしたり、広げたりしないで、国産の材料使って、正直に自分の手でまともの醤油、みそを作り続けること。
目指す方向はこれまでもこれからも変わらない。
 
いい道具ができたら、もちろん入れることはあるだろうけど、どんなに化学が発達したって、しょうゆやみそは合成できるもんじゃない。
本当の美味しさ、「馴れ味」っていうのは、出そうと思ったって出せないし、分析値で表せるもんじゃない。
正直に、謙虚に、やれるだけのことをやって、待つ。
それらのことができるものだけが、巡り会える味なんだな。
 
 
 
 
愛知県西尾市  鈴木農園
鈴木 増雄さん
玉葱、にんじん(ベターリッチ)、海苔を作っています。農薬、
化学肥料は使用しません。玉葱、にんじんは野菜が持ってい
る甘さ、香りが最大限に感じます、海苔は口に入れると、と
ろけてしまいます、この海苔は魚介類合うと評判です。東京
ホテルオークラのシェフ、板長が絶賛してこの三点の食材を
使用いています。
 
 
 
 
 
 
 

 

ごらんいただいたことを大変ありがたく感謝します。

 

生命の農と食を考える
L A F 健農健食研究所 ラフ
L ife A griculture F oods

FAX :076-223-2005
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池田 優

 

 

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