山ちゃんの食べもの考

 

 

その316
 



食は生命なり
「生命なきは食にあらず」とも云われますが、
人は多くの生命を頂く事で生かされている。
植物の生命も動物の生命も微生物の生命も、
土の生命も水の生命も空気の生命も、
すべての生命がつながって生かされている。
そんな「共生」の世界で生かされている。
「人は何を食べるのかによって決まる」とも云う。
肉体的な健康、長寿のみならず、
知性、思想、性格までをも決すると。
その食べ物の作り方、その食べ物の商いほう、
その食べ物の選び方、買い方、食べ方は、
その人の生き方、その考え方そのものであると。

                                   
(山ちゃん)
『食は生命なり』 【162】
朝食抜きで、高血圧、糖尿病、
肝炎、腎炎、アトピー、リュウマチが
ぞくぞく治っている!
「奇跡が起こる
半日断食」
甲田光雄 著  マキノ出版 刊
より その12
 
第4章 半日断食で病気が治った
奇跡が起きた20人
・・・の4
 
●ベーチェット病
大学病院にも見放された超難病が治り、
失明を回避した私の体験
西本多美江さん・74歳・群馬県・群馬県健康快感官庁・保健婦
 
◆ 失明を待つだけの絶望の日々
ベーチェット病が発病したのは今から18年前、56歳のときでした。
これは皮質、粘膜、ガン症候群といわれる原因不明の病気です。
 
ある日突然、40度の熱に見舞われたのが最初の兆候でした。
1週間後に解熱剤でやっと下がったのでやれやれと思った矢先、今度は両目が痛み出し、まぶしくて物が見えなくなったのです。
眼科に行くと角膜潰瘍といわれ、全治するまで3ヶ月という診断でした。
 
けっきょく2ヶ月の入院治療でまぶしさ意外はだいぶよくなりました。
ところが、入院中に手のひらや足の裏に水疱瘡のようなものが無数にできてきたのです。
痛くもかゆくもない、カエルの卵のようなものでした。
正月が近かったため、そのまま退院して様子を見ていたところ、さらに追い討ちをかけるように今度は腸の下血も加わりました。
 
ある日、群馬大学の医師が見舞いに来てくれ、目(角膜潰瘍)と皮膚(水疱瘡)と腸の粘膜(下血)の症状が出そろっている私の症状を見て、ベーチェット病かもしれないというのです。
 
研究会同人のメンバー達は、自分たちが主治医になるから治療を始めようといってくれました。
そこで、仲間が出向している病院に入院し、治療を受けることにしたのです。
 
しかし、治療成果は一向に上がらず、一度よくなりかけた視力がまた悪化。
失明の危機さえ出てきたのです。
もはや現代医学では治らないことがわかったとき、「ひと思いに死ねたらいいな」と思いました。
 
病院にいても改善する見込みもなく、ほかに治療の当てがないまま退院しました。
失明を待つだけの日々が始まったのです。
 
◆ 薬をいっさい使わず、難病がみごと改善
絶望のどん底にいたわたしが甲田光雄先生に巡り会うことができたのは、世界的な衛生学の権威で、もと大阪大学医学部教授の丸山博先生を介してでした。
 
長年親しくさせていただいている丸山先生にお会いしたとき、自分の教え子に面白い治療をする医師がいるから診てもらってはどうかと、甲田先生を紹介してくださったのです。
尊敬する丸山先生のお勧めでしたし、治るならなんでもする覚悟でしたから、私にはなんのちゅうちょもありませんでした。
 
甲田先生にお会いしたのは発病した翌年の夏でした。
診察室で相対し、ものの1~2分のご診察で、「治ります。だいじょうぶ」とこともなくいわれました。
 
群馬大学医学部の眼科、内科、皮膚科などが総がかりで治療しても治らなかったものを、治りますときっぱりいってしまう甲田先生にびっくりしましたが、丸山先生の教え子の先生ならお任せしようと心に決めました。
 
即日入院し、その日から毎日、5種類の野菜を絞った青汁を1合(180m?)飲み、玄米のおかゆ茶わん1杯と豆腐1丁を食べ、温冷浴をしたり、運動をしたりして1か月ほど過ごし、体を作ってから生菜食を始めました。
 
生菜食とは、素材を全て生のままいただくことです。
朝食は何も食べず、昼食は玄米を粉にしたもの70g、ダイコン・ニンジン・トロロイモをすりつぶしたもの、青汁を1合ずついただきます。
昼と同じメニューを夕食にもいただきます。
この間、水分はたっぷりとりました。
主に柿の葉のお茶を多く飲みましたが、水も飲みました。
そして温冷浴や運動もこなしました。
 
こうして生菜食を始めて2ヵ月半たったころ、診察室にあるカレンダーの文字が見えてきたのです。
そしてその日を境にしだいに視力が回復し始め、痛みも少なくなってきました。
また、時期を同じくして水疱瘡や下血も止まったのです。
 
それにしても、難病といわれるベーチェット病を治療するのに目薬を1滴も差さず、薬もいっさい飲まず、なぜこうもみごとに改善するのか不思議でした。
これは後になってわかったことですが、甲田先生の療法は、人間が本来持っている治癒力を高めることだったのです。
これは生きる力といい換えてもいいでしょう。
 
症状を改善するのではなく、その症状を呼び込んだ悪い体質を改造して治癒力を高めるのです。
この改造が、そのときの私の体にも起きていたのです。
 
◆ 今も半日断食を続け、すこぶる快調
その後7ヶ月近い入院生活は、こう大学を研修する毎日でした。
 
それまで私が学んだ西洋医学は、もっぱら体の傷んだ部分を修理する方法でした。
ところが、甲田先生の療法は体全体をよくするなかで治していく、自然治癒力の活性化を促す、いわば総合医学で、その科学性に魅せられたのです。
 
私は、甲田医院に入院する前の現職中、地域の人たちの保健指導や療養相談などの仕事をしていましたから、「群馬へこの学問を持ち帰って困っている人々に役立てたい」との思いから、少食健康法を実践と理論の両面から学ばせていただきました。
 
夢がかなって今、甲田先生の健康法の普及に努めています。
私自身、食事は毎日朝食を抜く半日断食を続けています。
昼と夜は同じメニューで、炊いた玄米茶わん1杯と豆腐1丁、それから青汁の1合を食べます。
おかげさまで目の状態だけでなく体全体が快調です。
「生涯現役」を目指し毎日に甲田先生のおかげを思わない日はありません。
近代医学が感染症の克服に果たした功績に異論はありませんが、それがそのまま文明病・生活習慣病への有効性を保証するものとはいえず、今や医療費の増大、過剰医療は、深刻な問題となって、医療ビッグバン(医療の大変革)が叫ばれるようになりました。
 
90年代アメリカ上院レポートは、国家的規模で現代医学への不信を表明し、国家予算を投入してガンの代替医学調査部を設置しました。
これは、総合医学への転換を予見させる出来事です。
 
ハーバード大学のヘルツリンガー教授はこういっています。
「医療・健康産業で今、大きな変化が起きようとしている。
この変化はアメリカに始まり、アングロサクソン(イギリス国民およびイギリス系の人々)世界に広がり、そして世界を覆うとしている」と。
 
21世紀の医学・医療では、日本発信の甲田医学が世界の主柱になっていく可能性が実に大きいと確信しています。
 
● 甲田光雄医師からのアドバイス
西本さんは断食療法の最高の理解者です。
地元の群馬で断食による健康指導を続け、これまで何千人という人を浴得抜きで救ってこられました。
その発端が自ら断食をしてベーチェット病を克服された体験でした。
 
最初、西本さんは断食療法に疑心暗鬼だったようです。
しかし、現代医学に見放された難病の患者さんが、治癒して次々に退院していく姿を見て、関心をもたれました。
そのためご自身のベーチェット病が治ってからも私の医院にとどまり、断食療法をはじめとした甲田療法を7ヶ月間勉強されたのです。
 
断食は難病をこともなく治してしまいます。
多発性硬化症(脳や脊髄に病巣ができ、多彩な神経症状を引き起こす病気)、全身性エリテマトーデス(高熱、関節痛などの急性の症状や腎障害を起こす病気)、慢性リュウマチなど難病中の難病でも、断食で治癒した患者さんはたくさんいます。
 
私は断食が難病の特効薬だと考えています。
 
 
 
●痔ろう
動けないほどの激痛と熱で苦しんだ
痔ろうが一気に治り効果にびっくり
塚越佳津さん・62歳・長野県・主婦
 
◆ 断食のすごさを思い知った
私たち夫婦は、毎週月曜日に1日断食を行なうようにしています。
主人が会社の顧問になり、住まいのある軽井沢から東京に週1回だけ行く生活になったのを機にはじめました。
 
私たちが甲田光雄先生を知ったのは、今から20年ほど前になります。
当時健康診断で、私は貧血気味で胃潰瘍の跡があると診断されて、近くの大学病院で検査を受けましたが、まるで工場の流れ作業のような診察方法に、私は強い不信感を持ちました。
そんな時、偶然にも甲田先生のことを知り、甲田医院で診察を受け、貧血の治療のために、玄米食を中心に、生野菜をとるという食事療法を指導されました。
 
以来、甲田先生の診察を定期的に受けるようにしています。
13歳(現在28歳)だった次男のアレルギー性鼻炎も、幸田先生の指導のもとで、食事療法を行なって治りました。
現在では家族ぐるみで甲田先生のお世話になっています。
 
その後、食事療法を行なっていても、断食療法には強い抵抗感を持っていましたし、断食で病気が治るとは、そのころは思いませんでした。
 
しかし、この考えを一変する出来事が10年前に起こったのです。
当時、長男がアメリカのボストンにあるボストン銀行に勤めていました。
そんなこともあって、私がボストンに滞在していたときのことです。
2ヶ月くらいたったころ、飲んで食べて楽しく遊んだ次の日、お尻が熱っぽく、ズキズキと痛み出したのです。
 
痔持ちの私は、日本で2回ほど治療に通い、ウミを取ってもらいましたが、完治するまでには至りませんでした。
私の痔は、肛門の内側と外側に穴があいて、ジクジクとウミが出る痔ろうです。
それがこの旅行中にまた出てきてしまったのです。
 
その日、肛門のわきが化膿して紫色のアザができていました。
赤ん坊の頭ほどの、とても大きなアザが盛り上がり、熱を持って痛むのです。
 
あまりの激痛に動けなくなり、熱も出て、苦しくてたまりません。
すぐさま、ボストンから日本の甲田先生に国際電話をかけ、病状を詳しく申し上げて、ご指示を仰ぎました。
 
このとき、水だけ飲んでほかのものはいっさい口にしない本断食を、先生に勧められたのです。
1週間から10日ほどすれば、ウミが出てよくなるといわれました。
毎日国際電話をかけ、海を挟んでの電話でのご指導を受けながら、初めて本格的な断食を行ったのです。
激痛と熱のために食欲もなく、また早く治したい一心で、あまり抵抗なく、本断食を行ないました。
 
こうして、ついに1週間以上も過ぎ、苦しみは最高潮で、もしこの日ダメだったら現地の外科医に駆け込もうかとも考えていました。
 
ところがどうです。
その日、化膿したアザにたまったウミが一気に排出されたのです。
そして腫れが引き、無事痛みもおさまりました。
先生がいわれたとおり、1週間ほどでよくなったのです。
この体験で、本断食のすごさを思い知らされました。
 
◆ 病気にならない体をつくるのが大事
こうして、午前中に食事をしない半日断食を毎日夫婦で行なうようになりました。
息子達も手が離れ、主人が第一線を退いたので、週に1回、水と柿の葉茶を飲むだけの1日断食も、2人で行なうようになったのです。
 
断食療法を続けて、もう2年になります。
お互い体調は非常によく、気持ちのいい毎日を送っています。
体質が変わったためでしょうか、断食しておなかがへっても平気で過ごせるようになりました。
それでいて、1回1回のご飯をとてもおいしいと感じます。
 
主人は、冬にオーバーを着なくても風邪を引かないほど丈夫になったと喜んでいますし、2人そろって元気で健康的に暮らしています。
 
断食療法は、本来的には病気にならないための予防医学的な要素が強いものだと思います。
これから、夫婦お互い年を重ねていくわけですが、人の世話にならないですむよう、すこやかに老いたいものだと思っています。
そのためにも1日断食を実行していきますが、病気にならない体づくりに、断食療法は非常に有効な手段ではないでしょうか。
 
● 甲田光雄医師からのアドバイス
日本人には痔を患っている人がかなりおられるようです。
実際、私のところにもたくさんの患者さんが来院されています。
断食が痔の治療に効果的なのは、免疫力(病原体などに抵抗して病気を防ぐ力)、回復力が高まって、傷の治りが早くなるからです。
 
もちろん痔だけに限らず、体のどの部分においても傷の治りが早まります。
たとえば盲腸の手術をしてから抜糸するまで、普通は1週間程度かかります。
ところが、断食を続けている人だと、5日間で抜糸が済んでしまうこともあります。
回復力が向上するのです。
 
1日断食は体への負担が少なく、胃腸が弱い人には特に有効な治療法です。
塚越さんのご主人からも胃腸がだいぶ丈夫になったと聞いています。
1日断食を1~2年続ければ、慢性の胃腸病も必ず改善していきますので、胃腸病に悩む人は根気よく続けてください。
 
 
 
●座骨神経痛
20kgやせ、動くのもつらかった
座骨神経痛が完治し野球も楽しめる
藤森元英さん・39歳・大阪府・病院勤務
 
◆ ヘルニアの手術後、後遺症に悩まされる
10年前の平成3年4月、私は椎間板ヘルニアの手術を受けました。
以前から腰が弱く、この年齢で何度ぎっくり越になったかわかりません。
食生活もずいぶん乱れていました。
深夜に帰宅し、たらふく食べて満腹の状態で寝ていました。
お酒や甘いものも好きでした。
そんな状態ですから、ずいぶん太っており、その影響もあったと思います。
しかし、このときの手術がうまくいき、その後は以前と変わらない生活に戻っていました。
 
ところが、3年前の平成10年4月、またも椎間板ヘルニアで手術を受けることになりました。
この手術後、足に痺れが起きたり、だるくなって歩きにくくなったりといった座骨神経痛が後遺症として起こるようになりました。
 
なんとか後遺症に耐えながら仕事を続けていましたが、追い討ちをかけるように同年10月、今度は頚椎(首の部分の背骨)の障害が起こり、首や手に痛みやしびれが起こるようになりました。
 
整形外科で、保健の効かない治療法まで受けたものの、一向に改善せず、ついには歩くこともままならなくなりました。
体が思うように動かないストレスから、精神的にもまいってしまいました。
 
そんな時、幸田先生の著書に出会ったのです。
実は、私は医療関係の仕事についており、現代医学の治療法についても、医師の説明だけでなく、自分自身の経験や知識を通じて理解しているつもりでした。
 
甲田先生の提唱される食事療法は、私の知る現代医学の常識とは大きく異なるものでしたが、自身の病気がその現代医学で治らないのです。
それに甲田先生の説には納得する部分も多くこれにかけてみようと思ったのです。
 
まず、平成10年の末ごろから約半年間、自分なりに半日断食を実践しました。
そのころのメニューは、だいたい次のようなものでした。
 
●朝食(午前中)=水やお茶など水分のみ
●昼食と夕食=玄米、豆腐、青汁(生野菜ジュース)、煮物など野菜のおかず
 
半日断食の開始時、私は身長165cmで体重は65~66kgありました。
体脂肪率も24~24%あったと思います。
それが半年で10kgほど減量でき、ヘルニアの後遺症も少しらくになったのです。
 
手ごたえをつかんだ私は、より本格的な食事療法に取り組むべく、平成11年5月に甲田医院を受診しました。
そして甲田先生のもと、約半年間、休職して本格的な食事療法を受けたのです。
 
◆ スポーツもできるほどに回復
最初に私が体験した本格的断食は、1週間にわたって寒天だけを口にする「寒天断食」です。
正直、これは想像以上に大変でした。
とにかく体はふらふらになるし、つらかったのは、断食中、首や腰といった患部に激痛が走ったことです。
 
ただ、そういうことが起こるというのは事前に甲田先生から教えられていました。
「痛みが起こるのは回復の兆しだから、ありがたく受け入れなさい」とのお話もあったので、そこに光明を見出すことができました。
ほかの患者さんと励ましあうことも心の支えになりました。
 
この1回目の断食が終わると、くだんの激痛がすっと治まり、首の痛みはだいぶよくなっていました。
 
その後もつきに1回1週間ずつ、寒天断食、すまし汁と水分だけをとるすまし汁断食、生野菜ジュースと水分のみをとる青汁断食を順に行ないました。
断食の回を重ねるごとに、症状が改善し、体の痛みは消え、足のだるさも消えていくことを実感しました。
 
この間、体重は一番落ちたときで40.5kg、体脂肪率は2~3%まで下がりました。
あまりにも低いようですが本当です。
その後、体調を戻して、現在では体重47~48kg、体脂肪率8~9%を保っています。
 
断食をして驚いたのは、血圧が極端に下がったことです。
私は高血圧気味で、最大血圧が140mmHgくらいありました。
それが最大血圧92~93mmHg、最小血圧62~63mmHgと下がるにいたり、不安になって甲田先生に相談しました。
 
すると先生は「それでいいんや」と一言。
血液がサラサラになったので、体が血圧を上げる必要がなくなったとのお話に納得がいきました。
 
実際、そのころは体は軽くなり、頭もはっきりすることを実感していました。
睡眠時間も4~5時間で、朝すっきり目覚められます。
 
唯一、困ったのは、リハビリで通っていたプールに血圧が低すぎて入らせてもらえなかったこと。
少しランニングして血圧を上げてからプールに行ったこともありました。
 
こうして平成11年11月、健康な体を取り戻した私は、無事に復職することができました。
その後も、家庭で朝食をとらない半日断食を実践しています。
今ではなんの支障もなく日常生活を送り、野球やゴルフも楽しんでいます。
 
それに夏場や冬場にも暑さ寒さをさほど感じませんし、疲れも残りにくくなりました。
まさに体質一変です。
さらの、断食の実践を通じて、協力してくれた家族への感謝の念がわいてくるなど、精神面でもたくさんのプラスがありました。
 
ただし、本格的な断食には、私が体験した危険な面もありますから、必ず正しい指導のもとで行なうべきだと思います。
 
● 甲田光雄医師からのアドバイス
この世間では、ぎっくり腰、慢性の腰痛、座骨神経痛など、腰の痛みで苦しんでいる人たちが多くいらっしゃるだろうことが予想されます。
藤森さんのようないろいろな治療法を試してみても効果があらわれない場合も多々あるようです。
そんな方にこそ、まず半日断食をしてほしいと思います。
 
少食で腰痛が治る? と疑問に思われる方も多いでしょう。
しかし、実際に長年悩んでいた腰痛が半日断食や少食療法で改善している例は、枚挙にいとまがありません。
これは過食で硬縮していた腱が半日断食で柔軟性を取り戻し、伸びるようになるからです。
 
藤森さんは、病院にお勤めというお仕事の関係上、現代医学の知識を持っておられました。
しかし、その現代医学をもってしてもご自身の病気はよくならなかったのです。
 
藤森さんが初めて入院して1週間の寒天断食をされたとき、前後の体調のあまりの変化に、病院のスタッフが驚かれたそうです。
少食療法を実行して、現代医学の限界をも併せて学ばれたということではないでしょうか。
 
今は仕事にも復帰し、スポーツを楽しむまでになり、心身ともに自信をつけらたようです。
先日藤森さんは「朝食抜きは一生続けるつもりです」とおっしゃっていました。
ぜひ続けてほしいと思います。
 
 
 
●慢性疲労症候群
生きているのもつらいほどだった
慢性疲労症候群が解消
大崎 歩さん(仮名)・32歳・大阪府・パートタイマー
 
◆ 仕事をやめ、寝たきりになった
慢性疲労症候群という聞きなれない病気が発病したのは、私が23歳になったときのことでした。
初めに手足がむくみ出し、それから微熱、だるさ、目のかすみ、のどに痛み、悪寒、首わきの下のリンパ腺の腫れ、全身の筋力の低下、そしてこれらの症状がもたらす不快感が次々に出てきて私を悩ませたのです。
 
私はどうしてしまったのだろうと思いました。
わけがわからないまま、見る見る衰弱していく自分をもてあましていたのですが、ある日、新聞に自分と同じ症状が載っているのを見て、自分の症状が慢性疲労症候群とわかりました。
 
ひどいときには家でトイレに行くのもやっとでした。
全身が痛くてたどり着けなかったのです。
筋肉という筋肉に引き裂かれるような激痛が走り、呼吸困難と吐き気がひっきりなしに襲ってきました。
すでに仕事をやめて家で寝たきりになっていたのですが、そんな私を見て、弟や妹は、もうすぐ私が死ぬのではないかと思っていたようです。
 
痛みが比較的軽いときに地元の病院や大学病院に何度か足を運びましたが、結局、原因すらわかりませんでした。
ですから、症状の改善に至らず、現代医学ではだめなのかなと思い、悲しくなりました。
 
しかしこれではいけないという気持ちも徐々にわいてきて、西洋医学でだめなら東洋医学があると思ったのです。
そして気を取り直して東洋医学系の病院を探し始めました。
甲田光雄先生の存在を知ったのはそんな矢先のことでした。
 
ある日、症状が珍しく軽いのでデパートにいき、本屋に入ると、甲田先生に『心身症克服もコツ 慢性疲労証拠群も治る』という本が目に入ったのです。
今思い出してみれば運命的な出会いだったのだと思います。
 
ページをめくると慢性疲労症候群の発病のしくみが明快に説かれていました。
その本には私と同じ症状を克服した人々の喜びの体験談も載っていました。
それを見たとき目の前がぱっと開けたような気がしました。
 
◆ みるみる元気になりパートの仕事を再開
幸田先生のお会いしたのは平成6年の8月のことでした。
お会いした瞬間、「慢性疲労症候群ですね」とズバリ指摘され驚きました。
私が治りますかとお尋ねすると、「治ります」と先生。
それを聞いて救われたと思いました。
これでらくになれると思うと涙が止まりませんでした。
 
入院させていただいたのは、それから8ヵ月後の平成7年でした。
症状が重いのと、慢性疲労症候群の原因である腎臓の不調は治りにくいため、1年3ヶ月という長期の入院になりました。
 
最初の1か月は、朝は何も食べず、午前9時にケールやコマツナなど5種類の野菜を絞った青汁を1合(180m?)飲み、そして玄米の5分がゆ400gと豆腐半丁を午前10時と午後4時に食べ、それからは5分が湯と3分かゆのメニューを10日おきくらいに交互にとりました。
 
困ったのは空腹感でした。
もっと食べたくて半ベソをかいていたこともあります。
でも治さなければという気持ちと、そうして続けているうちに、背中の痛みが軽くなり、だるさも軽減し、微熱も少なくなって徐々に治療の手ごたえを感じてきたため踏ん張ることができました。
 
そうして1年たったころ、ようやく体力がついたため、すまし汁による断食をを3日間行ったのです。
 
これは、もちろん朝は何も食べず、昼と夜の2回、すまし汁を3合(540m?)飲み、ほかには水とお茶を1日に合計2?いただくだけの断食でした。
その結果、症状はさらにぐんとよくなり、階段の上り下りもらくにできるようになったのです。
1回目の入院治療はすまし汁による断食を何回かくり返して終わりました。
 
その後1年3ヶ月と1ヶ月の2回にわたって入院治療をさせていただきました。
治療内容は前回とほぼ同様でしたが、おかげさまでますます元気になり、今では3回ぐらいならパートタイムの仕事ができるまで回復しました。
今でも1日1回、青汁とニンジン汁を1合ずつ飲み、豆腐1丁を食べるだけの半日断食を続けています。
 
● 甲田光雄医師からのアドバイス
慢性疲労症候群は、腎臓の機能が落ちて鈍重になるための起こる病気です。
 
疲れやすい、熱が出る、足が重い、のどが痛い、筋肉が弛緩するなどの症状が出るのが特徴です。
現代医学では確実な効果は得られません。慢性疲労症候群という病名がついたのは医師が困り果てた結果と思ってよいでしょう。
 
ところが、医師が往生するこの病気も、断食すると、もののみごとに改善します。
大崎さんは慢性疲労症候群の典型的な患者さんで、しかも驚くほどの重症でした。
自由に動くのもままならなかったのですが、今はアルバイトができるまでに改善し、風邪一つひかない体になりました。
 
ここまでこぎ着けたのですから、完全な健康体になるまで油断せず続けてください。
大崎さんは必ずよくなります。
 
 
 
半日断食と生菜食を1年間自ら実施して、
運動能力と体力の著しい向上を確認
羽麻鋭さん・大阪市立大学教授・医学博士
 
◆ 玄米食ですぽーんと抜ける便通に変わった
皆さんは競技スポーツ選手の筋肉豊かな引き締まった体を見て、さぞかし丈夫で健康であるに違いないと思われることでしょう。
ところが、一概にはそうともいえず、激しいトレーニングによって日頃は疲れていることが多いのです。
最近の研究によっても、厳しいトレーニングをやっている人ほど免疫能力が低くて、カゼなどにかかりやすいことが確認されています(免疫とは、病気に抵抗するからだのしくみ)。
 
実際、私自身がそうだったのです。
東京教育大学(現減筑波大学)体育学部の学生時代は長距離選手として、卒業後はボディビルダーとして、体を鍛え続けていました。
練習や競技をしている最中はいいのですが、日常生活はいつも疲れていました。
すぐに眠くなるし、カゼはひきやすいし、気力もわいてこなかったのです。
 
「毎日こんなに一生懸命運動しているのに、なぜふだんの体調は悪く、健康的でないのか」 「運動で体を鍛えることは本当に健康に役立つのだろうか」 と、体力づくりが健康づくりの代名詞のように語られ、認識されていることに疑問を覚え始めました。
 
この疑問を解くために、運動生理学・運動医学・栄養学などの近代科学のほかに、東洋医学や東洋栄養学ともいえる食養法なども学びました。
そして私が39歳のときに、食生活を、たんぱく質中心から、いっさい動物性食品なしの玄米菜食にしました。
ボディビルのトレーニングを毎日行なっていたころは、三食とも肉、魚、卵、間食にハムやソーセージ、ゆで卵。
要するに、筋肉を維持するため、たんぱく質ばかりを摂取していたのです。
その食事の内容を180変えたわけです。
 
玄米菜食を始めた当初は、みるみるやせていきました。
しかし、体の調子は格段上がりました。
まず便通です。
すぽーんと抜けるような快便になったのです。
それに、疲れなくなりました。
また、アトピー性皮膚炎だった娘も、玄米を食べるようになって症状が治りました。
 
そんな折、半日断食と生菜食を提唱する幸田先生の理論に出会いました。
「食事の量を減らすことによって人間に本来備わっている生命力を呼び起こし、さらに強化することが真の健康を作り出す」という幸田先生の考えには、私自身が玄米菜食の効果を体験していたこともあり、強い説得力を感じました。
また、半日断食と生菜食で、難病患者を救っておられる事実にも、理屈以上の真実を見ました。
 
私は健康体でしたが、半日断食と生菜食を実践すれば、精神的にも肉体的にも生まれ変われるかもしれないと思いました。
つらく苦しい毎日でしょうが、修行のつもりで、また甲田先生の理論を人体実験によって証明するつもりで、1年間の半日断食と生菜食に挑戦したのです。
 
◆ 「体がうれしい」という感覚を味わう
半日断食中の食事は朝食はなしで、昼と夜の2回だけです。
1食分にメニューは玄米80gとゴマ205g、ホウレンソウ・レタスなどの葉野菜類が250g、ダイコン・ニンジン・長イモ・レンコンなどの根菜類が250g、このほかリンゴやレモンなども適宜とり、1食分のエネルギー量はだいたい700キロカロリー弱になっています。
 
玄米やゴマは粉にし、塩を振って食べ、葉野菜はミキサーにかけて繊維も一緒に食べ、根菜類はそのままかじりました。
 
正直いって、1年間この調子で過ごすのはなまささしいものではありませんでした。
常に食欲との闘いです。
大好きなどら焼きに、何度手を伸ばしかけたかわかりません。
 
でも我慢して乗り切ることにいつしか快楽を覚えるようになりました。
最初はまずいと思っていた生菜食も、心からおいしいと思えるようになったのですから、不思議なものです。
そして「体がうれしがっている」という実感が得られました。
人間というのは慣れる動物だとつくづく思いました。
 
◆ 厳しい体力テストもどんどんらくになる
私はこの1年間の体力評価をいろいろな角度から数値にして記録してきましたが、結果はみごとに向上しました。
 
なかでも目を見張ったのは、体力評価のいちばん目安になる最大酸素摂取量が、大きくふえたの点です(最大酸素摂取量とは、生態のとりうる酸素摂取量の最大値)。
 
この最大酸素摂取量が、半日断食と生菜食の1年間を通じて徐々に増加し、最終的には開始時の約1.5倍まで上昇しました。
これは当時の年齢(47歳)の男性標準値の倍、女子マラソンのオリンピック候補選手とほぼ同じ数値です。
まさに驚異的な数値といえます。
さらに腕立て伏せ、上体そらし、服筋運動などもことごとく2倍から3倍以上できるようになりました。
 
体力と運動能力が向上し、実験のための厳しい体力テストもどんどんらくに感じるようになりました。
 
1年間の実験の後も、半日断食を続けています。
午前11時前後に野菜サラダを食べ、間食にちょっと甘いものをつまみ、夜は野菜ジュースと和食をとっています。
私の体はすこぶる快調でカゼで寝込むことなどありません。
ボディビルをやっていたころのムキムキした筋肉はなくなりましたが、その代わりに疲れを知らない体を得ることができました。
 
現在、59歳ですが、スキーに行けば早朝から夜まで滑りっぱなし。
真夏でもゴルフは連日2ラウンド回ってもまったく平気です。
もちろん翌日に疲れが残ることもありません。
 
私は研究という目的もあってかなりハードな生菜食を行ないました。
ただ、一般の人なら今の食事量を半分にする、それでもう1時間早く寝て、もう1時間多く歩くようにする。
これを毎日続ければ世界が確実に変わります。
そして、真の意味で健康で気持ちの充実した日々がやってくることでしょう。
 
● 甲田光雄医師からのアドバイス
羽間先生は保健体育学の教授で、「健康」という問題を自らの貴重な体験を通して、実学で研究を進めてこられたユニークな専門家です。
 
まず最初は、肉食過多の高栄養食、次は完全な玄米菜食、そして最後は全ての食物を生で食べるという生菜食でした。
その結果、生菜食で最高の成果が認められたのです。
つまり軍配は生菜食に挙がったわけです。
 
現代栄養学ではまだ正式に認められていない、この革命的な生菜食がひのき舞台に登場するようになった時こそ、この世から病人が激減し、すこやかに老いる人々が続出する理想的な社会が出現するものと確信している次第です。
 

 

ごらんいただいたことを大変ありがたく感謝します。

 

生命の農と食を考える
L A F 健農健食研究所 ラフ
L ife A griculture F oods

FAX :076-223-2005
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池田 優

 

 

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