山ちゃんの食べもの考

 

 

その34
 

 長野に本拠を置き、農業と食に関する書籍出版に関わる友人が訪ねてきた。彼は高校時代の後輩であることがわかってから、特に近しい間柄となって気軽に話し合える。金沢にくるたびに顔を出して新しい情報を提供してくれる。彼は現代の農業や食の荒廃に危機感を抱き、北陸中部を中心に、食農教育の重要性を説いて廻っている。狂牛病の問題についても危惧を抱き、数年前から関係先へ警鐘を鳴らしていたそうであるが「日本には起こりえないことであり、消費者にいらぬ不安を抱かせるものである」と情報の開示は許されなかったという。
有機栽培の話になり「山ちゃんの食べもの考 その31」で、「K幼稚園の先生方と園児で十数年も無農薬栽培を続けている」ことを書いた後であったので、そのことについて「波動の世界」だろうと私の考えを話した。彼はそういうことも関係あるだろうが、しかし今一つ腑に落ちないという風であった。そこで今回は食べものと心の波動の関係についてもう少し詳しく考えてみたい。
 有機農業の実践は現代科学の発達、知識技術の進歩によって成し遂げられるところは少ない。どちらかといえば篤農家と呼ばれるような方々の知識や技術も含めて、その人の経験や勘、知恵によるものであり。最大の違いは自然観、宇宙観、仕事観、人生観といった考え方や心の持ち方の違いにあると思う。平たく言えば仕事に使命感を持った心のきれいな方々である。


 私は長いスーパーマーケットの現場経験から、心の波動が食べものに及ぼす現象を多く見てきています。「そんな心ないことをするな」とか「心がこもっている」などと言うが、心は必ず物質に伝わると思います。
 野菜が入荷してくる。「あら、きれいなホウレン草ね。美味しそう。すぐ蘇生(水打ちして冷蔵庫で元気を蘇らせる)しましょう。お客さんが喜ぶわ」。「あら、傷んでるわ、かわいそうね、すぐ直してあげなくちゃ」。など言葉をかけ野菜を大事にしてあげられるタイプの人の手による野菜は生き生きとして長持ちをする。作られた人の苦労や思いに心を馳せ、野菜や果物を心ある生きものとして見る、買って帰られたお客様の食卓で家族が美味しくいただくところまで願いを込めるのです。こうした人はお客様に対してだけではなく、生産者や仕入先が訪ねて来ても感謝の心をもって温かく接しお礼を言うことを忘れません。人を大切にし品物を大事にしてくれる思いやりのあるところには、もっと喜んでもらいたい、もっとお役に立ちたいと、より良いもの、より新しいものが集まってくるのは至極当然です。


 私は「その育て方、その作り方、その扱い方で、そのモノが喜んでいるか悲しんでいるか」ということを考えます。そして素晴らしいなぁと感動するものはたいていの場合、そのことに関わる人の人柄であり、深い心や考え方が根底にあることです。人や物の命を大切に思いやる心があって、そこに人間としての知恵がきらめいています。単なる知識や技術ではなく打算的な発想もありません。思いや命を大切に思うところには無限大の知恵が湧き出すようです。
 早朝イチゴが入荷して来ました。フイルムでパックして早く店に出さなければなりません。私は言う「そんなやり方で生産者が喜ぶかな?イチゴがこの店に買われて来て、あなたの手にかかってよかったと喜んでいるかな?このイチゴを買ってくださるお客様にどんな気持ちを込める?可愛いお嬢さんの弁当に入るのかな。売れてそれでお終いじゃないんだよ、これからイチゴさんの働きが始まるんだ。あなたが生産者の思いを受け継いで、その上にあなたの心を込める。あなたがイチゴさんに込めた愛情が、イチゴさんが喜んで食べられ、食べた人の喜びや栄養となり、今度は人の命となって働くんだよ。折角この世に生まれてきたイチゴさんの命が、私たちの考えや思い方ひとつで死にもし生きもするんだね」
 人は生き物の命をいただいて生きているのだ。食べものは単なるモノではなく、多くの方々の尊い思いが連なった命なのだということをわずかでも理解する人には、お客様の手に渡ってからも商品が長持ちします。ロスや不良品がほとんどなくなります。野菜や果物がいかにも喜んでいるさまが感じ取れるものです。そのモノの命が応えてくれるのだと思います。
 モノにも意識があるのだと思います。そのモノに関わる人々の思いや願いが、そのモノの命や心を活かしもし殺しもします。私たちはビタミンCだとかタンパク質といった単なる物質を食べているのではありません。思いが吹き込まれて生きる命をいただいて、それぞれの栄養分も思いという意識を持ったひとつの命として働いてくれるのだと思います。だから私たちは食べものを通して思いをいただいているのだと言ってもいいのです。


 20代の後半、私は勤務するスーパーでそれまで取り扱いのなかった青果物を担当することになった。おかげで大恩師・向井克憲先生にお目にかかりご指導をいただくことになった。最初に教わった言葉は「野菜は生きている」であった。人は生きている命をいただいている。生き生きと生きる命を殺してはいけない。師の教えは今も私が食にこだわる根幹であり、生涯のテーマである。
 「魚を二度殺すな」は師の言葉である。「私たちは同じくこの世に生を受けて生きるかけがいのない多くの命をいただいて生かされているのだ」。魚の扱い方をご覧になってお叱りをいただいたのである。頭もウロコもシッポも内臓もすべてを含めてひとつの命。人は自分が生きるために魚を食べる。命を供してくれた魚を粗末にすることは「魚を二度殺すことになる」。私たちは殺生の世界に生きている。生きるために多くの命を殺して生きているのだ。私たちにささげてくれた生きものの命をもう一度生かす。その命に感謝していただき、よりよく生きることだと。生かすか殺すかはその人の心なのだと。
 この真意を理解する人たちの手による魚は一度死んだ魚であるが、その思いや命が吹き込まれてまさに「活魚」となって生かされる。心は波動となって響き伝わる。お客様においしく食べられその人の血となり肉となり命となって甦るのである。あらゆる食べものについて言えることである。
 「一物全体食」と言われるが、その食べもののすべてをいただき生かし切るようにしなければならない。その方が体のためにもいいのである。頭や内臓など食べられないで廃棄する部分にもごめんなさいの気持ちで感謝とお祈りを捧げなさいというのである。そして禅宗で食事のときにお祈りを唱える「五観の偈」を教えていただいた。いま一度「五観の偈」をご紹介したい。


1つには功の多少を計り、彼の来処を量る
(これからいただく食事が、このお膳に乗せられるまでに、どれだけ大勢の人たちの手を経て来たかということを考え、その人たちの労苦に対し、心から感謝する。さらにこれらの食物を育んでくれた日光・空気・土・水などの自然の恩恵にも感謝する)
2つには己が徳行の全欠を忖って供に応ず
(この食物をいただく自分は、どれだけの人のお役に立つことをしてきたか、果たして本当にこの食物をお受けする資格があるだろうかと、よく反省をする)
3つには心を防ぎ過を離るるは貪欲を宗とす
(私たちは食事に際し、ついより好みし、おいしいものはもっと欲しいと貪り心をおこし、味ないものには愚痴をいったり、腹を立てたりする。この貪瞋痴の三毒でついに地獄、餓鬼、畜生の三悪道に落ちてしまうのであることをよく反省する)
4つには正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり
(これからいただく食事は、飢えや渇きをいやし、肉体が枯死しないための良薬として考えればよい。そうすれば貪りの心や愚痴、瞋りの心も起こるはずがない)
5つには成道の為の故に、今此の食を受く
(私たちが食事をいただく最終の目的は成道せんが為である。即ち、誠の道を成し遂げる為に食事をいただくのであって、決して食わんが為ではないのである)


 この世は「人の心、人の意識」が大きく支配する世界であり、筑波大学教授が説く「サムシンググレードの意識」とつながった世界であるように思う。なかでも食べものは人間の肉体ばかりではなく能力、精神、性格まで決定付けるものといわれているものです。心や意識を持った生きものを食べものとしている私たちは「心や意識の波動」を無視して、何の障りもないというわけにはいかないのではないでしょうか。
 ここで10月6日の『日本農業新聞』に寄せられているベストフーズ社長・本間惇氏の文章を紹介しましょう
 「近年、農業を震撼させる事件が多い。振り返ってみると、かい割れ大根と病原菌O―157では、死者を出しながら因果関係が解明されず、かい割れ大根産業は、いまだに壊滅状態から立ち上がれないでいる。埼玉県所沢市のダイオキシン問題では、一方的なテレビ報道で埼玉県の農産物が被害を受けた。 茨城県東海村の臨界事故では、茨城県全域の産物に危険性ありとみなされ、農家は大打撃を受けた。また、雪印乳業のずさん極まりない製造事件は、会社側が世間の厳しい断罪を受けることで決着したが、酪農家の受けた痛手は計り知れない。これらを考えてみると、農業こそ人間の健康に関わる大切な産業でありながら、危険と裏腹で、安全・安心を無視すると本質を覆す大事件に発展することである。
 すでに15年前に発病し、世界18カ国で18万余頭の狂牛病(牛海綿状脳症=BSE)が発生した。いずれ日本をも襲うであろうと考えられている問題を安易に放置し、後手の対策しか講じなかった農水省の責任は重く、批判は免れない。(中略) 過去の反省を生かし、行政も生産者も常に消費者の視点に立って、安全・安心の商品を提供することこそ肝要であるとあらためて心すべきである」


 私はこれらの食に関わる大きな事件や事故も心・意識の波動の乱れから生ずるものではないかと思うのです。植物や動物、微生物、あるいは細菌にも、生きとし生けるものには全て意識があり、自然の摂理は意識の調和によって成り立っているものではないか。人間の驕りやエゴ意識が他の生命を省みることなく欲望と科学の力で踏みにじっていく。自然の意識バランスが崩れて、それがあたかも見えざる魂の報復行為の如く、突如として予想だにしない事態を招来することになる。
 科学オンリーの知識や技術で無農薬・無化学肥料農産物ができないばかりか、土壌中にも地上部にもドンドン強力な有害病原菌や微生物、害虫がはびこってきて、食べものはますます危険なものとなり、やがては何も採れない死んだ土となり、大地は荒廃していくのです。
 「あの人と波長が合う・合わない」とかいいますが、善意や好意は愛を呼び幸せを育みますが、悪意や敵意は反発を生じ争いを招きます。心の波は人と人との間だけではなく動物にも植物にも、あらゆる昆虫や細菌、微生物にも響きあって作用を起こしているものと考えられます。


 長野県でリンゴの有機栽培に取り組む白鳥博さんという素晴らしい人格の篤農家がいます。あらかじめ鳥の食べる分も丹念に作っています。害虫に対しても殺すという発想ではなく、忌避剤などで近づかないように工夫します。病虫害との戦いという発想ではなく、自然と共生しながら本物リンゴを作ろうとする調和の世界です。安心して皮ごと丸ごと食べられるすごく美味しいリンゴだが、残念ながら外観がやや見劣りがして(本来の美しさなのだが)、自然を理解する人にしか通じないから販売にはやや苦労している。
 「カラスの食べる分は残して置くのだ」と戦中戦後の貧しいときにも、柿の実を全部採らずに自然との調和の大切さを教えてくれた祖母を思い出す。
 T幼稚園の先生と園児で10年以上も無農薬栽培が可能となっていることに、私たちは謙虚になって何を学ぶことができるかが肝要であろう。



 

ごらんいただいたことを大変ありがたく感謝します。

 


生命の農と食を考える
L A F 健農健食研究所 ラフ
L ife A griculture F oods

FAX :076-223-2005
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池田 優

 

 

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