山ちゃんの食べもの考

 

 

その55
 

 長野で有機栽培に取り組むりんご農家から、枝傷や虫食い、鳥がつついたもの、形の悪いもの、サビのあるものなど、いわゆる売り物にはならないりんごが届けられた。本物が食べたい私がお願いしたのである。
 樹の高いところや樹の外側についた実は、風が吹くとに揺られて葉や枝にスレれるため、柔肌にスレ傷がつきやすいのです。大きく実っていくにつれて表皮のスレ傷がサビ状の黒褐色になってあとが残る。
 りんごに限らずミカンでもナシでもモモでも果物は、天成りや外成りの実は太陽光線をいっぱい浴び、風雨にもさらされて逞しく育った元気印の本物。もちろん栄養成分もより豊富であろうし、美味しさも一段と高いものに決まっている。
 虫食いや鳥の食ったものは大概に安全で旨いものが多いのだ。能登で赤土栽培のおいしいこだわりスイカを作る名人がいる。糖度14度に上るものはざらで、すべて契約栽培である。この人の悩みはカラスだ。カラスは完熟した旨いモノしか狙わない。人間と違って虫も鳥も動物たちも、美味しい本物を見分ける力があるから本物しか狙わないのである。
 また、鳥たちは化学肥料や農薬は嫌いで、有機栽培や自然農法がお好きなようだ。同じ長野で有機栽培に取り組むりんご農家Sさんは「鳥たちは化学肥料や農薬を使う慣行農法でりんご作りをしている近所のりんご園に行かないで、自分の畑ばかりにやってくる」という。彼は、樹の天辺に鳥用の実をいくつか実らせる。それでいくぶんかは助かるがとてもそんなことで防げるものではなく、相当な被害は覚悟せざるを得ないという。動物たちは見栄えや格好では選ばないようだ。


 シミひとつない、見栄えの立派なモノを作るために使わなくても良いどれだけ多くの化学物質が使われていることでしょう。どれだけ無駄な労力が使われていることでしょう。どれだけ不必要なコストがかけられていることでしょう。どれだけ良い物が捨てられていることでしょう。
 私たちが見栄えばかり気にすればするほど、安全・安心・本物を失い、自然から遠ざかっている事もあることを知らなければなりません。
 私たちが食べ物を買い求める時の第一条件は何でしょう。価格、安全、美味しさ、栄養、見栄え……。商売しているとよくわかりますが、建前と本音があってなかなか一致しないのがどうも現実のようです。
 生産者にとってはどうでしょう。やはり建前と本音があって一致することは難しく、良心的な方ほど悩むところです。至極当たり前のことですがまず売れることが先決です。どんなに内容の良い物を作っても売れないことには何を言っても始まりません。そして最低限生活を維持し、再生産に結びつくだけの利益が稼げないことには成り立っていきません。
 私は市場などに山と積まれた美しい、シミひとつない野菜や果物が、モノサシで測られたように、機械を使って工場などで作られたもののように、きれいに選別されて並べられているのを見るとき、その作られ方や無駄な労力、コスト、そしてその影に格外品として二足三文で投げ売りされるものや廃棄されるものが大量にあることを思い、悲しくなります。
 労力を惜しまず良心的に安全第一、自然に即した本物の美味しさを作りたく思っても、見栄え優先と価格優先で買われていく以上報われることはありません。悲しいことですが、どうしても化学的な力に依存し、自然から離れた作り方になっていかざるを得ません。


 2月21日付けの『日本農業新聞』シリーズ「デフレ下の農産物流通“産地の悲鳴”」の欄に、「無言の圧力、選別“より細かく”、鮮度や色つや見栄えに苦心」と、以下のような記事が掲載されていました。
 「オクラにあるイボイボ、これ何ですか」。消費者からの質問が高知・JA土佐香美土佐山田営農センターにしばしば舞い込む。イボは、急激に成長したときにできる生理現象で食味に影響はないが、見た目が悪いと2000年の途中から、イボが5個以上の物は出荷した生産者へ戻すことに決められた。そのため多いときで収穫の3割が廃棄となる、というのです。
 昨年は、オクラが黒ずんでしまう「スレ果」の排除基準も厳しくなった。雨や台風のときはこれが8〜9割にも及ぶそうです。オクラ栽培歴20年の土佐山田町の森本芳子さん(67)は「1センチでもスレたらいかん。木の上の方になったもののほとんどを捨てなければならないときもある。もったいないと思っても、どうせ、きれいなものにはならないから」と。
 廃棄選別を厳しくして出荷しても、なお3分の1が出荷場などから戻されることもあるという。森本さんは「食べる分には問題ないが、消費者が望んどるから仕方ない。厳しいけど遊んじゃおれない。品質でやっていかんと他産地に負けてしまう」という(いったい品質とは何でしょう?)。高知県のオクラは以前は全国販売の半分を占めていたが、1998年に38%までシェアを落とし、鹿児島などとの産地間競争がそのまま厳しい選別競争につながっている。
 同JA土佐山田園芸出荷場の西岡隆彦場長は「他産地が力をつける中、規格や見栄えで評価を得られるよう、どんどん提案していかなければ」と話す。
 

 「消費者は、ピーマン1袋4個入りより5個入りを選ぶんです」。そう説明するのは高知県園芸農協連の武田初章や再販売部長。1袋の重量は150g。「5個詰め用に1個30gを目指して」と指導しているが、27g以下の“下級品”が多く出る。最近はバラ売り用に36〜55gの大玉も求められる。両サイズをにらんでの栽培は矛盾をはらんでいるとさえ感じる。
 武田課長は「規格基準の変更は結局農家に大きな負担となる。それでも産地の考えで農産物を作っても価格面でやっていけない」と悩む。
 どこの産地も同じ規格となった場合、今度は総合的な判断がものを言う。「数字には表われない鮮度感、色つや、見栄えという“無言の圧力”は年々厳しくなってくる」という。
 シシトウを栽培する藤村悦雄さん(48)は「色をこく、きれいに、まっすぐにといった細かい指摘がくるが、天候次第で作物はいい時も悪い時もある。大阪の親戚に聞くと、バラでビニール詰めしてあっても構わんと言うが、現実は違うんやなあ。消費者ニーズって、何だろう」と問いかける。


 作り手の建前と本音、食べ手の建前と本音の大きなすれ違いが双方に不幸を呼んでいるように思えてならない。どちらにも本当のところが知らされていないし、知らせる努力も、知ろうとする努力もされていないように思う。都合の悪いことはひた隠しに隠し、売るためには余分なものを付け足したり飾ったり誇張したりする。そして食べ物のもっとも大事な本質から乖離していく。
 こんな狭い国でありながら農と食とが遠い遠い距離にかけ離れてしまったのです。お互いの思いも考えも願いも伝わらない、感じ取れない、届かない。
 売れるか売れないか、安いか高いか、見栄えがいいか悪いか、儲かるか儲からないかだけが基準になってしまったのか。
 情けないかな、本来「作り手」と「食べ手」の願いや思いをきちんと伝え、何がもっとも良いあるべき形かを正しく評価して、人々の命を預かる食べ物を扱う商人。良心的で豊かな本物の食文化を育み推進していくべき「つなぎ手」としての立場にある商人たちが、偽装までして自己の利益に走る昨今である。
 どうしてこんなことになってしまったのか、良心は何処へ行ったのだ。口を開けば生産者が悪い、商人が悪い、消費者のせいだという。何をか言わん。作り手も作り手なら食べ手も食べ手、言わんやつなぎ手としての商人においておや、である。


 オクラはフイリピンやタイからも大量に輸入されています。収穫したばかりのようにミズミズしく青々としてシミ一つありません。あの遠い国から輸入されてきて1袋100円、安い時には2袋100円で販売されているのを見かけます。どんな作られ方をし、どんなものが使われたのか、どうしてこんなにきれいでミズミズしいのか、それにどうしてこんなに安く売ることができるのか、私には疑問も残りますがそのわけはわかりません。
 ピーマンに大小があってはいけないのですか。ししとうは大きさや形の揃ったものでないとそんなにお困りですか。
 キュウリは産地では等級とサイズによって一体どのくらいに分類選別されているかごぞんじですか。ナスは、トマトは、ミカンは、リンゴは、柿は。イチゴ、サクランボ、イチジク、カボチャやゴボウ、さつま芋、にんじん、ダイコン。あらゆる農産物は特選、秀、優、良、並、外などの等級と3L、2L、L、M、S、2Sなどの階級(サイズ)によって仕分けし出荷されます。内容がよくても売り物にならないものは畑で廃棄されます。
 “より良いものがより安く”は結構なことですが、間違った欲求や競争が大きな無駄と損失を生み出し、歪んだ食べ物の世界を招いています。
 少々遅きに失する感がありますが、作り手も商い手も食べ手も、そろそろ食べ物について本当のこと話し合って、真面目と正直を前提にしないととんでもないことになるのではないでしょうか。




 

ごらんいただいたことを大変ありがたく感謝します。

 


  

生命の農と食を考える
L A F 健農健食研究所 ラフ
L ife A griculture F oods

FAX :076-223-2005
mail :m.ikeda@ninis.ocn.ne.jp

池田 優

 

 

 ◎ ご意見、ご教示はこちらまで    掲示板も御座います。是非ご利用下さい。→ 掲示板

最新号へ戻る