山ちゃんの食べもの考

 

 

その65
 

 私は数十年、良い農産物を求めて農村周りをして来たし、現在でも農家を訪ねて田舎周りをすることがままある。そんなときには訪問地の近隣にあるスーパーや小売店舗も見学する。田舎にも年を追うに従い目に見えて大型ショッピングセンターやスーパーが出店し、こんなところにまでと思う山奥にもコンビニが広がっていきました。
 訪問先の多くの農家では、その家でとれた新鮮な素材で、その土地ならではの料理を作ってもてなしてくれるところが多かったが、中にはわざわざスーパーに駆けつけ都会と変わらないご馳走を出してくれるところも少なくなかった。農家の方々の日常食もだんだん都会と同じように変っていくのが感じられた。殊に、私が食と健康に関心を抱き、有機農産物等を扱うようになってからは、農村にも食品企業の手による画一化された近代的な商品という名の食品が、急速に入り込んでいくのが見られ、それがたいへん気になりだしてあちこちで食談義をしたものです。


 古守豊甫先生と鷹觜テル先生の共著による『長寿村、短命化の教訓』が発刊されてから久しくなりますが、日本一長寿村と言われた山梨県の山村・棡原で、昭和40年頃より年老いた親が若死にする子どもの葬式を出さねばならないという「逆さ仏現象」が急増してきたのです。
 昭和13年頃より長くこの村に関わってきた医師の古守先生は、この長寿村で子どもたちの短命化現象を目の当たりにし、心を痛めて調査研究に乗り出しました。結果、その原因は「食生活の大きな変化によるものだ」という結論に至りました。
 長寿村・棡原は戦後まで平坦地の無い急峻な山村で、厳しい農耕作業を余儀なくされていました。村の人たちの食べものは、土地で採れる麦や雑穀、イモ、豆、野菜、山菜、味噌などで、動物蛋白はきわめて少なく、それは魚の干物や飼っている鶏やうさぎ、卵程度で、これもめでたい時くらいしか口にすることができなかったといいます。
 しかし、村の老人達は小柄ながら活力に満ち、骨格はがっちりとしおり腰も曲がっていなかった。また、女性も多産かつ母乳豊富で13人を産んだ人を筆頭に11人、10人は軒並みで、多くの子どもをその98%なでが母乳で育てたといいます。まさに「地産地消」「自給自足」であり、「四里四方の食事に病無し」であったのです。
 長寿村・棡原の人たちは、地元に産するものに工夫をこらして食べてきました、そして体をよく動かし額に汗して働いて、健康長寿と平和な人生を享受してきていたのです。
 ところが戦後になって道路が拓きバスが通り、若い人たちは車を持ち都会に出る。東京まではわずかな時間距離となり、村には急速に都会とは変らない簡便さと豊かな美食が入り込んできました。これまで口にすることもなかった動物性食品や加工食品などのが多くなり、額に汗することも少なくなった若者が急変する現代食に蝕まれていったのです。


 健康のために食べるその食がもとで病む。いわゆる現代病は食原病であると警鐘されてからもうかなりになりますが、食の安全性が問われるとともに、いま漸くにして巷間からも「地産地消」や「スローフード」運動の声が高まりました。
 「スローフード」などと言われると、何かまた新しい特別なことと勘違いしがちですがそうではありません。私たちは、企業化され画一化され、商業化された大量生産大量販売の現代食に翻弄されてきました。そして家庭内での調理料理はだんだん少なくなり、加工食品や調理済み食品に依存するようになってきました。長寿村・棡原に見るような、日本中どこにでもあった季節ごとに産する豊かな地場産の食べ物と食べ方を忘れてしまったのです。
 「スローフード」は、あまりにも外部依存化して歪められた食を見直し、日本人は本来何をどのように食べてきたか、人それぞれにとって健康長寿のためにふさわしい食はどうでなければならないのかを見直そうとするものです。
 したがって、「スローフード」は私たちの先祖が営々と積み上げてきた食の知恵を土台として、生産から消費に至るまでのあり方を足下から見つめ直してみようというものでなければならないと思うのです。
 何のことはない。日本の各地には「日本のスローフード」が、高齢者の知恵のなかにまだ息づいており、それをいま国民挙げて緊急に学び受け継ぎ、次世代へと継承して行くことが本来の「日本のスローフード」運動なのです。
 農文協の『現代農業』2002年11月増刊号「スローフードな日本!」地産地消・食の地元学に、そうした事例が幾つも紹介されています。
 その中で、民族研究家の結城登美雄氏は、東北宮城県宮崎町の「食の文化祭」及び北上町の「食育の里づくり」についての紹介とともに、日本の各地に伝承されてきた本来の日本のスローフードについて述べられています。私たちは戦後わずかの間に大切なものを忘れ、たいへんな勘違いをしてきたことを教えられます。以下に抜粋要約してご紹介します。


 「経済白書が“もはや『戦後』ではない”と宣言した昭和31年。小学校5年生だった担任の教師から“人はパンのみにて生くるに非ず”と聖書の言葉を初めて教えてもらった。東北最大の都市、仙台の一隅には、その頃になっても三度の食事にこと欠く家族がまだいた。学校の昼食時間が近づくと憂鬱だった。広げて食べる弁当が持って行けず、校舎の裏で一人過ごした。ある日教師が声をかけて、食べることばかりに心を奪われていてはいけない、この世にはもっと大切なものがあると。ひもじさに耐えかねている11歳の少年にとって、この言葉は一つの救いであり希望であった」。と結城氏は述べている。


 「あれから半世紀近くが経つ。不況とはいえ、まだあらゆる物に囲まれ豊かな時代を生きている。だから、当然ながらパンはおろか、麦蒔く人々の存在も忘却される。昭和23年には63%であったエンゲル係数は37年には40%を切り、54年には30%を割った。そして飽食と廃棄を繰り返していても、現在は23%を数えるのみである。そして日本の農漁業家の数はそれに比例するように1500万人から380万人へと激減した。食糧自給率40%の日本、誰がこれからの日本人のパンを支えて行くのだろうか」。と結城氏は述べている。
 そして、「バブルの崩壊。自らは麦の一粒もまくことのない都会の人たちから、パンのゆくえを気にする声が上がり始めた、すなわちスローフード運動」と。
 スローフード運動の紹介者である島村菜津さんは『スローフードな人生』のなかで、「スローフードとは、普段、漠然と口に運んでいるものを、ここいらで一度じっくり見つめてみたらどうだろうか、という提案である。そうして、この毎日、胃の腑におさめている滋養と活力の素を通じて、自分と周りの人間や、自分と自然との関係を問い直そうではないか、という人生哲学である」と述べている。
 本家イタリアのスローフード協会には、@その土地の味を大切にしながら、郷土料理と食材を守る。A質の良い素材を提供する小規模生産者を守る。B子ども達を含め、消費者の食教育を推進する。などの理念や基本方針がある。
 「しかし、スローフードを口にする人たちの中には、長い都会暮らしが身についてか、次々に流行のスタイルを取入れたり、耳障りのよい言葉がなくては身がもたないらしく、スローフードをまるで最近オープンしたばかりの行列のできる店のように語っているのが、いささか気がかりである」。
 「スローフード運動を気まぐれな都市の人々だけにまかせてはなるまい。 与えられた餌なら何でも食いつく豚のような食欲を持った消費者を相手に暗躍するエサビジネスならぬフードビジネスもいる。せっかく点いたスローフードの火を、良い食べものに料理しなければならない」と、結城氏の言葉は真意を突いて厳しい。


結城登美雄さんが紹介する「宮崎町・食の文化祭」から、氏の説くスローフードについて学んでみよう。

◆ その地域に内在するあたりまえの食の力と健全さこそスローフード 
 人口6000人、1500世帯が奥羽山系の山懐に抱かれて暮らす宮崎町は、28の農業集落が集まった農村である。毎年秋には各家々の家庭料理が一同に集まってきて、その数はいつも1000点を超えるスケールの「食の文化祭」が、もう4年も続いている。
 出品される料理のほとんどは、日々家庭で食べられている普段着の料理が中心である。毎回1000点を超す家庭料理。一つ一つはありふれた料理であるが、そのあたりまえが持つ力がすごみ。地域に内在する食の力。その力の上に暮らしが成り立つといるのである。そのあたりまえが持つ健全さこそスローフードと言うべきではないのか。
 生きるべき糧と、食らうべき食を他人にゆだね、食の商品化と情報化にほんろうされていて、何のスローフードなものか。

◆コンビニ、スーパー食品の必要のない町
 ともすれば東北の農山村の食卓を勝手に田舎料理や郷土料理などのイメージで塗り込めてしまう。だが実際は大きく異なり、現代日本の良質な食卓が集合しているといえる。この良質なという意味は商品化された料理が少ないということである。食の企業化によって食卓が侵略支配されないということである。
 この町には日本のどこにでもあるコンビニやファミリーレストランや大型スーパーもない。早とちりの都会人なら東北の遅れた町という印象を抱くにちがいない。
 一軒一軒の前庭には必ず畑があって、一年を通じて50〜60種類の野菜を育てている。近くの山からは山菜、木の実、きのこ。町を流れる川からはカジカ、ヤマメ、岩魚、アユなどなど。旬の食材は日々料理され家族が集う食卓へ。さらに加工や保存の知恵や技術とともに貯えられている。
 コンビにもスーパーもない町とは、安っぽいコンビニ食やスーパー食材など必要としない町だったのである。


 「食べ物が怪しくなって、何を信じていいのか、何を食べていいのか、気にし出したら食べるものがなくなる」と、NHKの食の安全性についての公開番組でこのような言葉が述べられていた。そうでなくともどこでも聞かれる話しである。
 私も「何を信用していいのか、何処まで信用していいのか」と言った質問をよく受ける。大抵の場合「安心してください、99%大丈夫ですよ」と答えている。それはどれだけお話しても食を改めることに関心を示さない人に対してである。そうした御仁が、「農家はけしからん、未登録農薬を使った梨とかリンゴなんてあるっていうから、果物も安心して食べられない」と言うから、「なんの大丈夫、もっとひどいものをたくさん食べていてそんなに元気なのだから、当分はなんてことはないですよ」と申し上げる。食べ物と健康を気にするなら、普段の食をこのようになさったらいかがですかと、性懲りもなく改めて提案することにしている。
 結城登美雄さんの文章にあるように、スローフードは健康長寿を願い、「身土不二」を基本とする普段の食そのものことです。私たちの毎日の食基盤に、スローフード的な考えがあたりまえとして習慣化、定着化され、根付いていなければならないのだと思います。
 それには、素材から食卓まで、まず家庭の食のあり方を見直し改めるという固い決意が必要でしょう。
 私はスーパーやコンビニ、レストランが全く不要だとはいいません。消費者とともに本気で健康な食の本質を考え「地産地消」「スローフード」を提供する店の出現を望みます。
 商人や生産者のせいにしていたのでは一歩も前進しないでしょう。私たち自身が食の大切さに気付き、食材の選択も、買いもの行動も、料理の仕方食べ方の行動も本気で改めることで、良いものが生まれ育ち、良くないものは消え去って行きます。消費者なくしては成り立たない商人も生産者も変らざるを得なくなるでしょう。





 

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生命の農と食を考える
L A F 健農健食研究所 ラフ
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池田 優

 

 

 

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