山ちゃんの食べもの考

 

 

その66
 

 温暖湿潤な自然に恵まれた日本には、かつては、どこの町や村の山にも川にも海にも、野に畑に田んぼと、至る所四季を通じて豊かな食材がありました。そしてその土地その土地に応じた多彩な食べ方があったのです。
食の世界にも経済効率を優先する近代工業的な考え方が導入され、農業分野においても合理的な単品大量生産システムの技術開発が進められました。そしてその地域の人たちの食生活を支えるための食べ物づくりから、それを遠隔地の消費地に売って現金を得るための商品作り、いわゆる換金作物へと大きく変わっていきました。農家自身も自分の栽培品目を除いて、かつては自ら栽培していた農産物初め多くの食べものが、町のスーパーなどから買ってきて食べるものと化しました。
 いまや農村地域といえども、かつて豊かにあった多種多様な自然の食材が姿を消して行ったのです。栽培品目がごく限られたものとなり、施設栽培等による現代農法技術によって、年中同じものが生産され、四季の持つ意味も旬も失われて行ったのです。
 多種の食材が失われるとともに、その地域に営々として培われ伝統的に受け継がれて来たそれらの多彩な食べ方や加工方法、保存方法も失われ、画一化、単純化、既成化された町の食とほとんど変わりないものとなっていきました。
農村地域に店舗を構えるスーパーでありながらも、その地域で作られた農産物やその加工品のあまりの少なさに驚かされます。私たちは居住する地域のスーパーなどで食材を求めていながら、消費する食品の多くが地産地消どころか、いかに遠隔地のもので占められているか、またラベル表示などで調べてみると、いかに多くの外国産に依存しているかがわかります。


 「身土不二(しんどふじ)」という言葉がありますが、人間の心身の健康と、その住んでいる土壌、気候風土、自然生態系とは切っても切り離せない一体のものなのだということです。その住んでいる土地の空気、水、土、諸々の動植物と密接な関係を保ちながら、その生態系の一員として人間の生命も成り立っているわけです。
 私たちのからだはその土地の空気を吸い、その土地の水を飲み、その土地で出来たものを食べ、その土地のもので体ができ上がっていますから、その土地の環境と調和して健康に暮らせるのです。ですから、「身土不二」は、人が健康であるためには、その住んでいる土地で採れた旬の食べ物を食べなさいという「地産地消」「旬産旬消」を教える昔からの知恵なのです。
 私たちの毎日食べる食べものは、農産物にしろ畜産物、海産物、あるいは加工品にしろ、その食べものの育つ土地の太陽の光を浴び、その土地の空気や水や土壌から出来上がっています。
 ところが、日本の食糧自給率は40%ですから、私たちの体の半分以上は外国の水や空気や土壌で出来ていることになります。「身土不二」の教えからは程遠いものになっています。外食や調理済み食品、加工食品への依存度の高い人は、80%も90%も外国産の日本人ですね。


 私たちの健康な心身を養ってくれる安心で健康な良い食べものを作るには、良い空気、良い水、良い土壌、良い自然環境があってはじめてできることなのです。言い換えればその地域の素晴らしい健全な自然環境は、空気、水、土、諸々の動植物を含めたバランスの上に自然環境は成り立っていて、その環境によって私たちの食べものは作られ、その食べものによって私たちの心身が育まれ、環境に順応して健康な生命活動が営まれているわけです。
 まさに「身土不二」。地域の環境と私たちの命とは一体です。健康を願うならば健全に育った良い食べものを食べなければなりません。良い食べものを求めるには地域の環境を健全にする努力を怠ってはなりません。
 「地産地消」「旬産旬消」の食生活を柱として、地域のきれいな空気、きれいな水、健全な土壌、美しい環境、豊かな自然生態系が維持促進されてゆかねばなりません。環境を含めて生産から消費に至るまでを、そしてその消費がまた良い生産や良い環境づくりにつながるに至るまでを、地域の消費者と生産者が一体となって、多種多様な良い地場産の食べものの作り方と食べ方を復活推進させていく。それが地域に密着した四季折々の豊かな知恵の食文化を培っていくこととなり、地域に住む全ての人々の健康増進する。良い食生活と良い環境づくりが一体となった健全な循環型の地域社会につながっていくことが大切だと思います。


 前回ご紹介した民族研究家の結城登美雄氏は、人口4000人が、海と川の出会う河口の町、宮城県北上町の女性と「食育の里づくり」いう地域活動にも取り組んでいます。結城氏は次ぎのように述べています。
 「子どもたちの食をめぐる心配は枚挙にいとまがない。人生を生きるとは、まず食べることである。いや、食べて後、人生は始まると言ってよい。しかしこの国では、食に関する教育も学びも軽んじられてきた。そのツケがあちこちに廻ってきたとの警告もしばしば聞かれる。もはや学校も家庭も、食のイロハさえ伝える場ではなくなりつつある」
 「私たちの社会では、食の商人たちは増える一方だが、食の大切さを教える教師はいっこうに現れない。真の教師を探し求めて北上町をたずね歩いた」 「北上町はその存在も希薄で、少し知る者にとってもワカメとシジミをわずかに産する町としか認識されていない。「食育の里づくり」を推進しようとする行政関係者も、何もない町ではないかとためらったほどである」
 「よい町とは都市にあるものをどれだけ所有しているか、豊かな町とは他に売れる物がどれだけあるかを基準にしているからである。600ヶ所近い東北の村々をたずね歩き、私が得た教訓と自戒は、“都市の基準で地方を見るな!”“金のモノサシで人間の暮らしを判断するな!”であった。


 結城氏は、何もないはずの北上町の女性たち3人にアンケートを試みました。1、一年間自家生産している食材にはどんなものがありますか? 2、いつ頃種をまき、いつ頃収穫しますか? 3、それらの食材はどのように調理料理、加工保有していますか? 全員が丁寧に答えてくれた回答に結城氏は驚嘆したといいます。
 というのも、その数なんと300余種にわたり、庭先の畑で育てる野菜や穀類が90種。里山からの山菜などが40種。きのこ30種。果実と木の実が30種。海から魚介類と海藻が約100種。目の前を流れる北上川からウナギ、シジミなどの淡水魚が20余種。
 天然記念物のイヌワシが舞う山々、リアスの海、その海と出会う大河北上川。ていねいに耕やされた畑と黄金色の稲穂が実る田んぼ。そこは知られざる食材の宝庫であった。海、山、川、田、畑と食材を育む自然要素をこれだけもっている類まれなる風土であるのに、なぜか人々はこの町を何もない町と呼ぶ。おそらくこの町にもコンビニもファミレスも、商店街らしきものもないからであろう。結城氏は自然の恵みである宝の山に埋もれていながら、都会の暮らしを基準にして、この村には何もないと、その豊かさに気付かずにいることを述懐している。
 だが、そんな食の風土の豊かさと暮らしやすさの値打ちを知っているのは女性たちである。30数年前にこの町に嫁いで来た老婦人は「見知らぬこの町に嫁にきて、ここは安心して子育てができると思った。田や畑や山からだけではなく、海からも四季折々のご馳走がやってくる。ここは金がなくても楽しく暮らしてゆけるところだと思った」と語った。


 結城氏の文は続く。幸い北上町には、他の町が失いつつある「地域の食卓」が健在だった。「北上町の子どもたちを、もう一度地域の食卓の場へ」――の呼びかけに女性たちはこたえてくれた。テーマは精進料理で、いまも続いている観音講の後に供される昔ながらの料理。地場の食材を使い、皆で料理し、皆で味付けをする。招待された小学生は34人、料理が出来るまでの間を利用して「北上町の食べ物読本」を使っての授業も行われた。

――北上町は食べものの宝島。それは海、山、川、田、畑があるからなんだ。おばあちゃんたちに聞いたら300種類以上もおいしいものがあったよ。1本の大根だって「切り方」が沢山あるんだよ。いくつ知っているかな? 観音講って、お母さんたちの休みの日だったんだよ。そこで食べられたのが精進料理。これは日本料理の基本なんだ。五味、五法、五色、わかるかな? どうして食べる前に「いただきます」って言うんだろう? 誰に「いただきます」というんだろう?――
 その一つ一つの質問に目を輝かせて答える子どもたち。そして食卓へ。「油揚げとコンニャクのクルミあえ」「たけのこ、コンニャク、しいたけの煮もの」「りんごの砂糖がけ」「きゅうりの一夜漬け」「大根、人参、油揚げ、とうふ、まめふの汁もの」そして白いごはん。全員がひとつも残さずに食べ終えた。

 小学校3年の女の子の感想文である
《今日、おばあちゃんたちのりょう理を食べました。おばあちゃんたちはとってもいい人たちでした。りょう理もうまそうでした。それにきのうから料理を作っていてくれたそうで、先生は、そのことをたくさんお話してくれました。わたしがいちばんおいしかったのは、くるみをつぶしてこんにゃくを切ってあぶらあげも切ってまぜたやつが、とってもおいしかったです。おばあさんたちに作ってもらって、うれしいと思いました。今日はおばあさんたちとすごせてよかったです》

 人においしく食べさせたい。そう思う気持ちから生まれるものを料理という。たとえ限られた食材であれ、食の心は子供たちにまっすぐ伝わる。


 「何かおいしいものが食べたい」――「なら何か食べに行こうか」「なら何か買いに行って来ようか」。「月給前だから家で我慢しとこか」。「今度友達が訪ねてくるからどこへ連れてこか」。ちょっと出かければ様々なレストラン、ファーストフード、飲食店がある。コンビニがありスーパーがあり弁当屋がある。
 家庭の料理は面倒だからとだんだん手抜きになる。心が入らず、食卓は貧しいもの、美味しくないもの、我慢のもの、感動のないものとなる。家族の喜ぶ料理もテレビコマーシャルの即席カレーやスープや味噌汁なんてことになる。お客様が見えても手料理でもてなすなんて失礼なことになる、というより煮物料理も魚料理も自信がない。家庭で食べる毎日の食事でさえその料理のほとんどが外部化されたもの。地場産の食べものにこだわってなんてとんでもない。「地産地消」「旬産旬消」など入る余地もないし、健康を願っての教えである「身土不二」に至っては程遠いものになってしまった。
 生産から消費に至るまで、あまりにも企業化、商業化、商品化され過ぎてしまった日本の食。本来私たちの住む直ぐ周りにあった自然の食材も旬も消えてしまった。料理も伝統的食文化も失われてしまった。そしてそれが進むにしたがって食べものの作られ方も売られ方も、食べ方自身も危ういものとなっていっています。
 「自分の食べるものと違って買い手の評価によって決まる売り物ですからどうしても止むを得ないところがあるのです。必要のないところに手をかけ、ないほうが良い余分なものを付け加えたり、したほうが良いことをわざわざ手抜きする」
 これは、私が日頃お付き合いする真面目で良心的な農産物を作る生産者や食べもの作りに関わる人たちの偽らざる本音です。
 地場商品を食し、地域の農業やまじめな食づくりを育てていくこと、「地産地消」「旬産旬消」はとても重要な意味を内包しています。




 

ごらんいただいたことを大変ありがたく感謝します。


  

生命の農と食を考える
L A F 健農健食研究所 ラフ
L ife A griculture F oods

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池田 優

 

 

 

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