山ちゃんの食べもの考

 

 

その70
 

 前回に続いて、東京都立新宿技術専門校非常勤講師の大日向光氏の述べる「捨てられる食品の実態とその背景」にそって、わが国の食品がいかに無意味にムダに扱われているかを見てみたい。
 大日氏は「消費者が商品を購入する時の重視点として品質重視の割合が欧米に比べ日本は飛び抜けて高い。大手の外食産業でも調理の外部化が進行し、製造業社や卸売業者、カット野菜業者に委託するケースが増加しているが、国産食材の仕入れでは「必要量の安定供給」に次いで「均質な食材」への要求が高い。」と述べている。
 色合いや形などの見栄えの美しさに加え、加工のしやすさなどからの外観上の均一性、肉質の硬軟、歯ざわり、風味などの内容的な均質性が要求される。まるで工業製品出でもあるかのように異常なまでに厳しく要求される色彩や形状、肉質の揃った規格に応えるために、必要以上に化学物質が使われることは当然である。しかも徹底した低価格であることが条件とされる。
 したがって「製品を受注する食品製造業はコスト低減のため生産基盤を海外に移す業者が増え、大手スーパーの開発輸入など輸入品も多種多様化し、青果の輸入も急増。現地では日本の品質・規格に合うよう指導している。」と大日氏は言うように、食品業者や開発業者は競って賃金の安い海外に拠点を求め、栽培や生産のみならず手間ひまのかかる加工のかなりの段階まで現地で行われています。原材料輸入から加工品輸入の比率が大幅に高まりつつあるのです。
私たちの日々食する食べものが食膳に供されるまでには、既に私たちの想像もつかない多くのムダな骨折りと廃棄があるのです。


 見た目にも美しくて形のきれいに揃ったもの、見るからに新鮮そうでおいしそうなものを求めることは当然の欲求であるとしても、それがあまりにも度をこしているために、生産から販売までのあらゆる段階で、本来ならば生かされて当然のものが大量にゴミと化しています。
 大日氏は「痛みやすい青果の場合、豊作により価格が暴落すると産地での廃棄が生ずるが、中小の野菜・果物の小売店では毎日一店舗から平均1.6?もの生ごみが排出され、かぶの葉やレタスの外葉などの可食部分と売れ残りは相当な量と考えられる。」「また、外食関連におけるカット野菜業者の葉物のロスは大きく、サニーレタスのカットでは菌数をみるため少しのシミも残さず取るので、年平均50%にもなると。」と述べています。
 私もカット野菜工場に関係していたことがあり、以来カット野菜の利用は避けています。規格化された製品のカット野菜を作るために数十パーセントが野菜屑と化していきます。使われる野菜も規格外とか生鮮野菜として販売できないから加工に回すのではありません。徹底した作業の効率・合理化が求められるため一定の規格基準がはめられ、それ用に初めから品種も選ばれ栽培されるわけです。虫の混入でもあっては大変です。しかも相当な低価格ですから、その栽培方法もおのずから想像がつきます。そして、万が一にも事故などないように、徹底的に洗浄されます。特に水溶性の栄養分などははかなり抜けきっていることでしょう。
 工場で大量に生産されるカット野菜は外食産業や中食産業をはじめ多くの食品分野で使われています。「カット野菜の利用はムダがなくて便利だ」などという人がありますがとんでもないことで、本来食すべきものが多く廃棄されているのです。


 産地では収穫物を製品として送り出すために、洗う、葉を切り落とす、外葉をはぐ、皮をはぐ、根をとる。成型し形を整える。虫喰いや形状の歪なもの、汚れやシミ・サビのあるものをハネる。過熟・未熟なもの、傷・痛みのあるものを捨てる。それを色や形の美しさによって分ける。熟度や糖度などによって分ける。重さ・長さ・太さなどの大きさで分ける。その過程で、規格基準にあわないものはどんどん捨てられていく。余分な手間がいっぱいかけられたくさんのムダを生んで、そして、まるで機械ででも作ったが如き見た目にも美しい揃ったものが商品として出荷されるわけです。
 それでもスーパーや小売店などでは、さらに手をかけて色形を整え、きれいに包装・陳列するなど小分けし、商品化し、販売する段階で多くの食べ物が捨てられていきます。毎日発生する生ごみや商品ロスで廃棄される生鮮食品の量は膨大です。そのほとんどは本来食べられてしかるべきものが多いのです。スーパーのバック・ヤードから毎日排出される生ごみの量はこれまた膨大なものです。
 農産物のごく一部分しか使われることのない消費構造となりました。そのことのよるムダははなはだしく、低コストと簡便性と均質性を求めるあまりに歪められてしまった今日の食のあり方に大きな矛盾点と危険性さえ感じています。
食品の商業主義を促すものは、私たちの誤まった食行動にあると思います。


 私たちが真に求めなければならない食の品質や規格の規準とはどのようなものでなければならないのでしょうか。食によって身心が育まれ健康が維持・増進されているものであることは誰しも異存がありません。ところが、昨今の食品業界で多発する不祥事から、食の安全性と健康に対する関心は高まりつつあり、トレーサビリティなど氏素性のわかる顔の見える関係などが言われだしました。そして表示偽装などが行われないよう食品Gメンが小売店を巡回チェックするなどの制度もできました。
 しかしながら、肝腎な私たちの食べものの見方や選び方・考え方に対してはあまり改善の動きは見られません。生命の健康とって本当に良い食べものとはどのようなもなのか、食べものを無駄なく生かして食べるとはどのようなことなのか。どのように作られどのように加工されどのように商われている食べものを選んだらよいのか。
 私たちの大切な普段の食において求めるべき食べものの品質や規格の基準は、どうなければならないのか。例えば安全安心に作られた有機栽培の大根1本を葉っぱから尻尾まで皮も含めて美味しく食べる。すぐ近場で採れた安心なキャベツやレタスの外葉や芯も生かして食べる。調味料はどんな基準で選んだら一番いいのか。
 安心・安全・健康はもとより、自然環境と調和し、自給率を高め、ムダを最小限にして、真に心身ともに健全で豊かな食生活であるためのトータル的な志向での品質や規格への基準作りが必要なのではないでしょうか。


 大日向光氏は、「“飽食時代の食生活を見直す”という調査研究の延べ3万食分の分析によると、食事する時の食べ残しは日常化。職場や学校での食べ残しが多く、昼食で主食類の食べ残しが際立っていた。食事前にいつも空腹な状態でいる人は、全体の4割にすぎない。」
 実際多くの人は食べ過ぎの感がある。訪ねてくる友人の殆どは肥って困った困ったという。それでいて何か旨いものでも食いに行こうかという。そして実によく食べる。
 余談であるが、私はもともと少食であるが現役をリタイヤして立ち仕事から解放されお腹が空かない。だから、時どき朝食を抜いたり昼食を抜いたりしていたがこれでは生体リズムに良くないから昼食を抜くことのした。空腹でもないのに食べることは意味のないことでありもったいないことである。昼食を完全に抜く生活に入ってから2ヶ月ほど経つが、すっかり体が軽く調子はいい。もちろん間食は一切しない。夕めし朝めしがうまい。家内からは食事を減らすより酒を減らしたほうがいいと皮肉を言われている。
 「平成10年7月ホテル・レストラン3店舗で生ごみの分別実測調査が行われ、給仕後の生ごみ排出量は昼・夜の部ともに客数1人当り100〜130g程度で、夜の部の中華のみがその2倍近い220gであった。このうち食べ残し部分の割合は8〜10割弱である。米穀類の給仕後のロスは和食、洋食、中華ともに最も多いが、なかでも夜の部の中華が多く52.3gで、小さい茶碗で約半分の炒飯が捨てられたことになる。また業種別の調査では給食センターに次いで事業所給食の生ごみの排出量が多い。そこで、一般客も利用する職員食堂での夏のある一日(利用者2363人、うち食事1773人、他は喫茶)の生ごみ119kgの内訳を調べた結果、可食部分は食べ残し54kgで45%、売れ残り25kgで21%と多く、調理くずは40kg、34%であった。」「ホテルなど豊かな演出を望む限りは無駄はでるし、外食でお客の要望に直ぐ応じる用意をすれば需要がないと無駄になる。」と述べている。



 

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生命の農と食を考える
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池田 優

 

 

 

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