山ちゃんの食べもの考

 

 

その72
 

 不景気だ不景気だと言いながら、日本はまだまだモノ豊かな社会であることには違いはない。福々しく丸顔になった友人が訪ねてきて言うには、健康を考えて煙草を止めたと言う。それはそれで結構なのだが、食べものが巧くなって、ついつい食べ過ぎてしまう。これまでのズボンがまったくはけなくなった。困った困ったとお腹をさすって見せる。
 多くの人がカロリーの摂り過ぎ、太ることを気にしながらも旨い物が食べたい。手ごろな価格で簡便に美味しいものが食べたいと食指を動かしている。どちら様も欲望には抑制が効かないようである。
 文教大学教授の中村修也氏は現代の食事情について、「日本では食糧はあり余っている。その裏返しかのように“ダイエット”が喧伝されている。そして日本の食の見直しがなされている。近代以降、日本食を否定して、油脂分の多い食事・肉食中心の食事を続けてきた結果、肥満細胞を遺伝子に供え、豊富な食事文化が目の前にありながら、常にダイエットを気にしなければならなくなった。そして近代科学農法の名のもとに、大量の農薬散布による、有害食品を多く生み出してしまった」と述べている。
 ものがあり余るほどにあっても、今、私たちの食生活は豊かであるといえるのであろうか。どう考えても食の摂り方も、食品そのものも、その原材料の作られ方も、健康的であるとは言い難いし、お粗末そのものであるとしか言いようがないものが多い。いま、“豊かさ”とは一体どういうことなのかを真剣に考え直さなければならない所に来ている。


 スーパーの折込チラシを見比べて1円でも安いものをと追い求める。それでいながら、ついつい買い過ぎによる食品の廃棄は少なくない。いつでもどこでも食べものが簡単に手に入る。食べものを手に入れることに何の苦労も必要とはしない時代である。額に汗して作った食べものでなく、金を出して買って食べる簡便な豊かさに慣れ切った生活では、食べものを粗末にすること、残ったものや気に食わないものを廃棄することには、さして罪の意識が伴わなくなっている。
 勿体ないとか物を大切にする意識がなくなった生活スタイルには、野菜の葉とか皮とか茎、あるいは食べ残したものを無駄にすることなく活かして食べるという意識も知恵は喪失している。物を大切にするとか勿体ないという意識やすべてを活かして食べるなどという習慣がなくなって、無駄が多くなりゴミにして廃棄するということが何の戸惑いもなく平気で行われる。
 経済効率を優先して物の豊かさだけを追っかけてきた結果、決して質の良くないものが大量生産され、それが大量消費から大量廃棄を生んだ。そして今、日本人の不健康と心の貧しさを招いている。
 本当に良い食べものには、作り手や商い手のたいへんな労力や願いが込められているものである。人を思う優しい心というか魂と尊い汗が込められているものである。良い食べものをいただく時、私達は作り手の尊い心や汗とともに、それが基盤にあっての、太陽の光や空気、水、土など健全な自然の恵み、そして安全・安心・健康な食べものそのものの命をいただいているのです。食べものとは何なのか、豊かさとはどのようなことなのか。食を通してしっかり考え直さなければならない所にきていると思います。





 

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生命の農と食を考える
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池田 優

 

 

 

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