山ちゃんの食べもの考

 

 

その77
 
 
 体躯が小さく虚弱体質であった私は、すぐ疲れる、肩が凝る、頭痛がする、心臓が騒ぐ、風邪を引く、胃潰瘍や前立腺肥大を患うなど、かなり長い間悩まされ続けてきました。田舎に生まれて、小柄ながらも元気そのものだった私が病弱になったのは、食べもの商売をしていながら、乱れた食生活が最大の原因だったのです。酒が好きで毎晩のように飲み歩きました。ですから、当然朝めしなど美味しく食べられるわけはありません。朝は食べない、昼は外食、夜は飲み歩くとなると、家庭で満足に食事をするということがなく。美食を求めたり簡便な食で済ませたり、食も生活も出鱈目であったと思います。
 ある時から、戦後の食のおかしさに疑問を持、ち食と健康について勉強を始めるようになりました。それが進むにつれ、身をもって自分の体のおかしさと食のあり方のおかしさを実感しました。
 朝食を摂る、会社へは弁当持参・お茶持参に切り替え、夕食は努めて自宅で食べるように切り替えました。当然朝食が美味しくなります。食べ物についてに勉強が進む中で、選ぶ食材もメニューも変わりました。私の体を気遣って作ってくれる食事が、決して贅沢なものではないのに、玄米ご飯などもゆっくり噛んで、食事とはこんなに美味しいものであったか、と味わえるようになりました。たくあん一切れの味がわかるようになってきたのです。
 いつの間にか肩が凝ることも頭痛がすることもなくなっています。疲れ知らずになる。胃腸が丈夫になる。前立腺の心配も消える。もうかれこれ10年位は、薬要らず医者知らずの生活を送らせていただくまでになりました。
 普段の食生活がいかに大事であり、食べものが体を作っている、命を育んでいるということをつくずく実感するこの頃です。


 私は持参弁当の良さを真に知りました。素材はもとより家内の吟味したものが使われ、塩をはじめ良い調味料を使い、味付けにも注意します。余計な添加物などはもちろん使うはずもないわけです。
 しかも私の体調を考え、昨夜の夕食、今朝の朝食を踏まえて作るわけですから、私にとって最上のものであることは当然です。 
 この家庭の手作り弁当は、食べ続けると実に美味しくいただけるようになってくるのです。そして、都合で市販の弁当などを食べる時には、とても抵抗感を感じるようになるのです。使ってある素材の質、化学調味料や添加物も気なるのです。
 家庭の食事と市販のものとの最も大きな違いは、一人ひとりの個性や体調を知った上で、家族のために毎日の食事づくりの中で、継続的連続的に考えて作られる食べものであるということです。家族の健康や喜び、幸せを願って手づくりされる家庭の食事が、どんなに立派な料亭の料理よりもまさるのは、この点にあります。家庭から持参の弁当は、単なる弁当ではないことを強調したいと思います。
 体質も体調も、好き嫌いも違う何百人もの子供たちが、同じ昼食を取る学校給食には、家庭における普段の食事とは連続性がないのです。給食には、給食ならではの良い点もいっぱいありますが、育ち盛りのこのときに、これでいいのかという疑問も多く有ります。
 また若い人達の昼食、働き盛りの方々昼食にも、昼食だからと軽視した簡単な摂り方に大きな疑問をもっています。量や見た目より、朝食や夕食との関連のなかにあるバランスの取れた質こそが大切なのです。どんなに立派な市販の弁当よりも、あなただけのために作られた手作り弁当に勝るものがないのだ、ということを肝に銘じて実行して欲しいのです。


 「家族そろって朝食が旨い」。炊きたてご飯に一汁一菜プラスα。家族が食卓を囲んでありふれた朝食を摂る。朝食のあり方が健康家族、健康家庭のバロメーターです。
 朝食が美味しくいただけるとは、生活スタイルが健康的であるという証です。
 そして、あなたの普段の食事スタイルが、健康的な生活スタイルであるかどうかを決めるわけで、身心ともに快調で健康そのものであることは、普段の食スタイルが健康的なものである証です。
 心身の乱れも、生活リズムの乱れも、食生活の乱れも、まず、毎日の朝食が美味しくいただけるか否かに現れます。食のリズムと生活リズムと健康リズムとは比例します。
 「家族そろって朝食が旨い」。といっても、社会の仕組みも複雑になってきて、仕事や勤務の関係などで、なかなかそうはいかない人も少なくはありません。私の知人の多くにも、早朝の2時3時から出かける生鮮市場関係の人や、食品工場の夜勤に努める人、量販店の夜間勤務の人がいます。朝8時、9時から夕方5時、6時までと、判で押したような勤務スタイルの人は少ないかもしれません。
 しかし、その方々にはその方々のスタイルに合わせた生活リズム、食生活リズムが、バランスの取れたものとして確立されなければなりません。どんなスタイルにしろ、それに合ったリズミカルな家庭のシステムがあり、普段の食事があり、生活リズムがないことには、先ずストレスで体が参ってしまい、家族全員の健康に支障をきたすことになるでしょう。
 仮に、家族とともに朝食をともにすることが難しいとしても、どうした形で家族が揃って食卓を囲む普段の生活スタイルを作るかということは、家族全員の生活スタイルを正し、食事スタイルを正し、体も心も含めての健康生活を築いていく上での要となることでしょう。


 主婦は限られた予算と時間の中で、家族一人ひとりの健康や喜びに思いを馳せ、毎日三度三度の食事作りに創意工夫をこらしています。
 それは、一見、代わり栄えもしないような食卓であっても、家族の体調やその時の気象気温、家族それぞれの一日の行事や仕事の関係なども考え、素材選びからメニューの取り合わせ、器選びから盛り付けと、思いを込めて手早に進めなければならないのです。共働きの現代では大変である。
 私たちの生命を身心とも健やかに育み養ってくれる、わが家の普段の食事というものは、よっぽど深い愛情と心配りがなければ出来るものではありません。「お腹がふくれればいい」、「口にうまけりゃいい」、「栄養があればいい」という程度のものではない。
 忙しい中で365日休むことなく、東奔西走して作られる家庭の手づくり料理こそが、まさに天下一の「大ご馳走」なのです。


 「食事を美味しく、楽しく、感謝していただく」。これが家庭の食事を本当に美味しいものにする秘訣です。
 家族一人ひとりが揃って食事することを大事にし、買い物や料理づくり、後片付けも協力する。食べる人が「美味しい、美味しい」といって和やかに喜んで食べてくれるほど作り手にとって、こんなに嬉しいことはないでしょう。そして、家族の誰もが、身も心も健康で、目的をもって快活に活動することができるのです。
 「あなた作る人、私食べる人」という言葉が流行ったことがありましたが、「作る人が食べる人を思い、食べる人が作る人を思う」ということは、本当に大切なことで、「美味しかった、御馳走さま、ありがとう」という喜びと感謝の気持ちの表現は、そのまま良い波動となって生命に共鳴波及しますから、食べものが心身に与えてくれる栄養も生命力も倍増し、身心によき働きをしてくれます。
 良い食事作りには良い波動の調和、ハーモニーが必要なのです。どんなに立派な食材であっても、最後にその家庭の料理や食事に良い生命力を吹き込むのは、家族一人ひとりの「喜びと感謝のハーモニー」なのです。毎日の食事を「ありがたいなあ」と喜び、愛情を噛みしめていただく。家族の喜びをわが喜びとして、真心つくしてのわが家の愛情料理。そうして毎日毎日家庭でいただく普段の食事こそが、家族の健康と幸せをもたらす、世界で只一つの豊かな大ご馳走なのです。


 家族が揃って食卓を囲む。顔を見合わせ、あんなことこんなこと、会話も弾みます。食卓風景は、そのまま家庭平和のバロメーターと言えるでしょう。家族全員が揃って食事をする家庭は、また、居間で揃ってテレビを見たり談話するコミュニケーションの場が多くあります。反対に、家族が別々の食事をする家庭では、家族がそれぞれ、直ぐ個室に引きこもってしまい、家族の信頼を結ぶ食事も一緒に摂れない上に、楽しいコミュニケーションが取る機会も少ないといいます。
 先にも述べたように、社会の仕組みが複雑になって核家族化や共稼ぎなどが多く、家族一人ひとりのライフスタイルも違います。したがって、家族間のコミュニケーションが取れにくくなっています。ひどいのになると、家庭は寝に来るところといった、下宿屋のようになっていたりします。これでは家族間の信頼関係は保たれず、家庭崩壊の危険性も避けられません。
 だからこそ、家族一人ひとりが協力し、家庭における普段の食事を楽しむことを最優先に考えないことには、真の意味での家庭の平穏と豊さは得られないということです。家庭における食事の場こそが、家族間の唯一の信頼と揺るぎない絆を培っていくものだとして、家庭における最大行事としたいものです。
 温かい朝の1杯のお味噌汁が、家族の固い絆とともに、どんなに大きな癒しと勇気と生命力を与えてくれることでしょう。
家族が揃って食べる食事を作る。「さあ、ごはんですよ〜」、「いただきま〜す」。
 顔を見合わせ、楽しく美味しく感謝していただくことは、またお互いに豊かの心を育む最大の教育の場でもあり、大事業なのです。


 お父さんが朝食を抜くと、子供達も朝食を軽視するようになります。そうすると、お母さんも忙しいから、一日の体のリズム、生活のリズムを決める大切な朝食作りに対する張り合いもだんだん薄くなって行って、「手抜き」というよりも「心抜き」になって行きます。そして一日のスタートに当たっての大切なコミュニケーションもとれなくなって行き、朝の出足からブツブツ小言などが多くなり不機嫌な精神状態で、体も心も不健康な状態で、そのままそれぞれの日課に踏み出していくことのなります。朝がこんなことでは、一日中、うまく行くこともおかしくなります。
 そもそも朝食が揃って美味しく取れないということは、生活習慣の乱れにあります。それが子供達まで犠牲にするのです。朝食をしっかり摂るとは、たくさん食べるとかメニューが多いということではないことは言うまでもありません。
 それは、爽やかなよい目覚めを迎えることから始まるのです。朝の忙しい時間、心込めた一汁一菜で十分なのです。家族が揃って食卓を囲み、顔を見合わせ、今日もお陰様での元気を確認し、「今日も一日元気で頑張るぞ!」。お互いに「行ってらっしゃい」「気をつけてね」「頑張ってね」「行ってきま〜す」。
家族の大きな愛と信頼に包まれ、希望と勇気に満ちて今日が始まる。これが朝食というものであり、朝食の大切さです。
 よい朝食は、よい昼食につながり良い夕食につながります。よい朝食こそが、健康な心、健康な体のスタートなのです。そしてよい朝食こそ、また、家族の協力と心の調和なしには成り立ちません。
 朝食をないがしろにすることは、家族の幸せをないがしろにし、家庭の平和をないがしろにすることであります。中でもお父さんの自覚が重大です。




 

ごらんいただいたことを大変ありがたく感謝します。


  

生命の農と食を考える
L A F 健農健食研究所 ラフ
L ife A griculture F oods

FAX :076-223-2005
mail :m.ikeda@ninus.ocn.ne.jp

池田 優

 

 

 

◎ ご意見、ご教示はこちらまで    掲示板も御座います。是非ご利用下さい。→ 掲示板

最新号へ戻る