山ちゃんの食べもの考

 

 

その78
 
 
 朝食がしっかり取れていない家庭では、子どもが犠牲になりやすいのです。先に述べたように、一日のスターとにあったって、家族が揃って良い朝食の摂れることは、家族全員が、身心ともに健やかな一日を過ごすための最も大切な食事であります。
子どもが朝食を摂らないのは、親の食習慣や生活スタイルが最大の原因と思われます。子どもが幼少のころから、家族が決まった時間に揃って朝食を食べる環境の中で育つことで、食事マナーを含めて、子供の良い生活習慣も身について行くことでしょう。
 最近では、子供たちにまでダイエットを気にする肥満傾向があるといいますが、大人にしろ子どもにしろ、朝食を摂らないとか軽視している人に、肥満傾向や生活習慣病予備軍、虚弱体質が多いといいます。
朝食を摂らない人は、昼食も夕食も乱れが多くなります。そして、いきおい昼食や夕食がドカ食いになり、また、直ぐ口が寂しくなり、買い食いや間食、夜食が多くなり、食事内容が偏って、虚弱体質や肥満につながりやすくます。さらに精神的にも不安定になりやすいのです。
 朝食の乱れが、食生活全体の乱れにつながり、食生活の乱れが生活全体の乱れと心の乱れの要因となり、それが悪循環となって、なかなか変えられない生活習慣を定着させ、心の上でも肉体の上でも、健康状態を害っていろいろな病気を起させることとなります。


 朝食を抜く人に肥満や生活習慣病が多いということは、外食や買い食い、間食などが多く、食事のリズムが乱れ、食事内容が大きく不健康に偏ることで、体や心のリズムが狂う。さらに生活そのものが、規則正しいリズムになっていないこととつながっているからでしょう。三度三度の食事が生活リズム、心身のリズムを作っているのです。
 好ましくない食習慣が好ましくない生活習慣を生み出し、それがどんどん連鎖して悪循環します。すなわち、食の乱れはそれだけに止まるものではなく、その家族全員の人の精神的、肉体的、活動的生活リズムを狂わせてしまう恐れがあるということでしょう。
 朝食を、家族揃って美味しくいただけるようにすることは、健康的な食習慣を身につけるだけでなく、あらゆる面で良い生活習慣を家族全員が身につけるわけですから、「食べることは生きること」という言葉の意味は大きい。


 仕事第一、勉強第一、お付き合い第一もわからなくもないのですが、食事の大切さを後回しにすることは、やがて、最も大切な家族の絆や家庭の平穏を台なしにすることになってしまうことを忘れないで欲しいものです。
 本当に家族を大切に思い、健康で心豊かな家庭の幸せ、立派な社会人としての活動、身心ともに健やかな子どもたちの成長を願うならば、家庭における普段の食事こそ第一にすべきでありましょう。
 家族の誰しもが、皆で揃って食事することを最大の喜びとし、食卓を囲み、笑顔を見合わせ、いたわりの会話を交わしながら、ゆっくり、心温かい団らんの食事を楽しみましょう。
 お母さんも忙しい中で、家族一人ひとりの喜びの顔を想い浮かべながら食事を作ることに、どんなにかこそ幸せを思うことでしょう。


 たまには、家族が力をあわせてのお菓子作りもいい。お父さんの誕生日のケーキも、子どもたちと一緒に材料の買い物から始め、飾りつけなどの演出もする。「ただいまあ」。帰宅したお父さんが相好をくずして驚く。子供たちも手伝った手づくり料理でお祝いする。お母さんのお誕生日には、もちろんお父さんが大張り切りで頑張る。
 子どもたちのお祝いごとにも、お父さんとお母さんが協力してのホーム・パーティ。家族の「心合わせ」がどんなに素晴らしく幸せなものか、子どもたちの心に深く深く染み込んでいきます。そうして、協力し合って育て上げる家庭での食を通して、家族がお互いに「ありがとう」という与え合い、信じ合い、感謝し合いの暮らしの中で、愛するどもたちの子どもたちの心に、素直で健全で、豊かな人間性が育まれて行きます。
 我が家に、遠方からの大切なお客が久し振りに訪ねてくる。大切なお客様だからこそ、決して贅を凝らしたものではないにしても、子供たちも手伝った家庭での、心込めた手づくり料理を召し上がっていただく。この地に伝わる伝統的な食材やメニューでおもてなしする。「これはこの土地伝わってきたもので、昔からこの時期に食べられてきました。お口に合うかどうかお恥ずかしいのですが、家内が数日前からあれこれ考えていたようです。」などと言って、家内の労をもいたわる。子供たちも、大切なお客様の「いらっしゃいませ」とお茶などを運ぶ。家族あげての歓迎である。子供たちに対してもどんなにかこそ心の教育になることでしょう。このようなことは普段の食事が大切にされ、家庭料理がキチンと出来ていて始めてできることですね。
 「食は家庭にあり、人にあり」で、心のないところからは何も生まれてきません。大したものがなくても、心があれば家庭料理こそが天下一品のお料理であり、世界一のわが家の食事なのです。


 毎日の食事が、家族の心の栄養源です。普段の食事のあり方が、私たちの心を養ってくれているのですから、三度の食事を精神的な面からも大切なものとしてしっかり考えていかなければなりません。
 科学的に分析するカロリーとか栄養バランスも重要なものです。しかし、さらに大切なのは、その食を通しての愛情とか信頼、お互いの思いやりや感謝の心こそが、健康な精神や人格を養う重要な栄養源なのです。
 人類の食の歴史は、決して栄養学の歴史でもなく、健康学の歴史でもありません。人類は飢餓との闘いの歴史だったといわれます。私たちはその歴史の最先端にあって、過去にも世界にも類を見ないと言われるほどの便利で豊かな食生活を謳歌しています。
 まともな食べものもない歴史の中で生命がつながれてきて、今日の私たちの生命があります。その生命をつないできたものは、食べものであり、欠かすことのできない食事であり、そして生命を大切に思う心なのです。
 

 金さえ出せば簡単便利に、いつでも好きなものが好きな時に、好きなだけ食べられる現代の食情況に浴しているのですが、何か一番大切なものを失ってきているのではないかという不安がよぎります。
 明日も食べること、食べさせることが出来るだろうか、などという心配も不安もない、あまりにも多くの食べ物に満たされている今日、食べものを残すことも棄てることも平気で、感謝していただくなんて、お寺の坊さんじゃあるまいし――ということになる。
 そしてダラシのないデタラメな食生活から、デタラメな生活スタイルへとつながり、不真面目な考えや行為が平然と行われるようになって行くのではないだろうか。
 こんなに豊かで便利な食の世界にありながら、「これでいいのか?」という不安感に襲われるのは、好きなものをたくさん食べたり、栄養の豊富なものを食べたり、あるいはバランスの取れたものをしっかり食べていたとしても、その食べものや食事から、一番肝腎な、真に人を思い生命を思う心、愛とか信頼とか、優しく包み込んでくれる温もりや癒しといった、信ずるに足る心の満足が得られないからではないでしょうか。
 そんな意味で、いま私たちが享受している豊かさや便利さは、決して私たちや子供たちの、心と体の健康や幸せを約束してくれるものではないように思われるのです。


 食事を感謝していただくことができない――。この食事が、いま自分の口に届くまでに、いかに多くの方々の尊い思いや汗、ご苦労があったことだろうか。
 そして豊かな恵みを与えてくれた天や自然の営み、野菜や果物・穀物、魚や肉・卵、醗酵微生物が働く調味料やさまざまな食品。いま、私が口にせんとするこの食事に、いかに多くの魂と生命が供せられていることかに、心から思いをいたさねばならない。
 もし、手を合わせて「いただきます」と、心から感謝していただくことができないとしたら不幸です。いかに多くの財を成し、贅を凝らした世界の美味・珍味に取り囲まれていようとも、身心ともに健全・健康たる人間としての、最も大切なものが、見ることも感じとることも出来なくなっているからです。
 便利や豊かさと、良い食べもの、良い食事とは本質的に違うのです。庖丁やまな板は愚か、台所がなくても困ることのないほど便利で豊かではありますが、その便利で豊かで豪華な美食も、あなたや私の生命にとって、お母さんが作ってくれた朝のお味噌汁一杯にも及ばないのです。
 商品としての食べものと、たった一人の私のために作ってくれた普段の家庭料理とは比べようもないものであることを知らねばなりません。





 

ごらんいただいたことを大変ありがたく感謝します。


  

生命の農と食を考える
L A F 健農健食研究所 ラフ
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池田 優

 

 

 

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