山ちゃんの食べもの考

 

その8
 

友人から一冊の本が贈られてきた

 近代工業生産システム的発想を導入した戦後の農業は、あまりにも農薬や化学肥料の多投に依存する方向に急変しまた。最も自然的であると思われていた農業や畜産業が河川や地下水の汚染、ダイオキシンなど環境問題についても加害者的見方がされるに至りました。化学物質の過剰な使用が、いまや地球的な規模で環境や生命の存続に危機的脅威が迫っていると思われます。農業や食物の生産にあたっても、可能な限り化学肥料や農薬、添加物などの化学物質の使用を減らして、あらゆる生命を大切にしていく努力が急務だと考えます。

 自然生命はあらゆる生命の循環のバランスで成り立っています。そして私たち人間はその食物連鎖の頂点に立っています。私たちが永続的に安心でよい食べ物を食べ続けていくためには、生態系を構成する一員としてよい自然環境を保ち続け、共生していくという考え方によってのみ可能となります。

 今、私たちにとってできるとても大事なことの一つに、私たちひとり一人が日々の食生活において、できるだけ化学物質に依存しないで作られた良い食べ物を選ぶこと、強く求める続けることが環境保全型の農蓄産業を推進することにつながり、自然環境を良くし、次の世帯によい環境とよい食べ物を引き継いでいくことにつながっていくわけです。

 

「森は海の恋人」(北斗出版)の著者 畠山重篤さん

 という見だしで、高木義之さんが主宰するネットワーク「地球村」情報誌『地球村通信』100号記念特集に、3月4日の朝日新聞に掲載された次のような記事が紹介されています。

 「穀物栽培などに使われている除草剤アトラジンを濃度1ppb(10億分の1)という、ごく微量摂取しただけでかえるのオスがメス化することが解った。骨の異常や生殖異常など人体への影響も指摘されており、専門家は『1ppbは雨水に含まれる程度で、それでも生物に悪影響があるのは深刻な問題だ』としている。日本には環境基準などの規制はなく、早急な対策が求められる」

 

森林、川、海と続く生態系の中に、生物の生存がある。

 こう指摘するのは、株式会社農業食品監査システム・AFAS代表の徳江倫明氏(1999年6月15日発行、AFAS緊急提言セミナー資料)。

 「日本の単位面積あたり農薬使用量はいまや世界一ですから、(中略)環境問題は、農業が国土の14%を占めている、さらに農地は河川、即ち水系を中心に広がっているという認識をはっきり持たなくては、解決策をなかなかイメージできません」。

 「1974年に有吉佐和子さんが「複合汚染」という本を書きました。農薬・化学肥料、食品添加物、自動車社会になっていく中での排気ガス、高度成長期での工場廃液・煤煙の問題等々、それらの化学物質が複合されて最終的に人間の体の中に入った時、どういう結果になるかわからないというのが「複合汚染」の要旨でした。そして今は環境ホルモンです。環境庁で指定した環境ホルモン67品目のうち6割強が実は農薬です。環境ホルモンは決して新しい問題ではなく、過去使われ、蓄積されてきた化学物質の問題です。過去30〜40年間の期間の中で、私たちが蓄積してきたものの結果なのです。河川とそれが流れ込む内湾のダイオキシン汚染は、水田除草剤が主原因であることは明確になっています」。

 

フランスにも輸出される、世界に冠たる宮城の種牡蠣

 レーチェル・カーソンが合成殺虫剤や化学物質が自然界を汚染する脅威を訴えた『沈黙の春』が発刊されてから既に30数年を経ています。カーソンは、PCBゃDDT、ダイオキシン等の残留化学物質が遙な遠隔地に住む人々からも検出され、母親の体内で、また母乳を通して子供に渡されていく。化学物質による汚染は、生命の誕生とともに始まり生涯に渡って変わらないだろう、またこの恐るべき化学物質から誰一人として逃れることはできない――と。

 それから30年を経てシーア・コルボーン他による『奪われし未来』(長尾力訳・翔泳社)が発刊されました。私たちを取りまく多くの化学合成物質がホルモン作用内分泌撹乱物質・環境ホルモンとして動物や人の生命を脅かしていることを膨大な調査研究の結果が報告がされています。

 

森の豊かさが海の豊かさにつながってる

 私たちは知らず知らずのうちに食べ物から多くの化学物質を取り入れているのです。母胎にいるときから、誕生したばかりの赤ちゃんから育ち盛りのお子さんにまで、その食べ物がどのようなつくられ方をされたものか、どんな原材料や加工方法なのかを十分に知ることなく、化学物質を与え続けてられている危険性があるのです。

 生命は生命あるものを食べることによって維持され、食べ物とは本来、生命そのものであるはずです。生命なきものは食べ物にあらずであり、健康なる生命は、生命力旺盛なる健康なる食べ物によってもたらされます。

 少なくとも、食品を買う時には必ず表示を見て欲しいものです。口先でおいしく感じられる物であっても、多くの添加物を使っているものには、その使用されている原材料の作られ方や品質、加工方法について疑問を抱かざるを得ません。確かな栽培方法、良質の原材料、良心的なつくられ方であれば必然的に合成添加物は使われ方が少なくなります。これはその食べ物を作る企業や人の考え方や哲学の問題です。大きなメーカー、有名なメーカーだからといって決して安心できません。自然で良心的なものは、まだ大量には作られていません。

 くどいようですが、今私たちが安全安心の食べものを真剣に選ばなければならないのは、今の私たちの健康な暮らしのためという目先のことではありません。私たちが毎日の食生活の中で"いのちの農と食"の本質を追求することで、子どもたちや孫たちがより安心で健康に生きることができるよう、近未来農業のあり方も、製造も商いも、そして環境も、食べ物を通して変えることができると考えるからです。

 


それでは、ほんもの野菜の見分け方20 前回の続きをいたします。

わずか50年ほどで、山も川も海も、暮らし振りも変わってしまった

 自然界の動物たちが危険な食べ物を本能的に識別するように、赤ちゃんや小さいお子さんにも生命保持本能が正常に働いて、食べていいもの悪いものを感知する能力が備わっているようです。化学物質を使った食品を食べさせるとすぐ口から吐き出し、ほんものは喜んで食べます。野菜が嫌いだと言うお子さんに有機で作られたこれはいいという野菜を食べさせると、美味しいといっておかわりをし、お母さんが驚くのを何度も目の前にしています。作られた味に慣らされてしまった大人には不思議に思える現象です。

 脳に味覚が刷り込まれ、完成するのは幼少のうちといわれます。味蕾がまだ完成されていない幼少時に与えられる食べ物の味覚にだんだん馴染むようになっていき、それが脳に記録されるようになります。平常から化学調味料や人工的に作られた甘味や香りなど、小さい時に食べたものの味がやがて成人した後にオフクロの味になるということです。

 野菜嫌い果物嫌い、漬物嫌い、味噌汁嫌いの子供や若い人が増えています。そうした子供たちや若い人たちの好んで食べたがる物はなんでしょう。そこに一つの偏った傾向があることに気付かれることと思います(どんな野菜、果物、漬物、味噌を食べているかにもよりますが)。

 自然から離れ、人工的に作られた味に馴染んでいく。化学物質依存型の栽培による農畜産物をはじめ、化学調味料や防腐剤、香料、着色料など化学物質をいくつも使った調味料や漬物、惣菜、あるいは菓子やインスタント食品、もろもろの加工食品に取り囲まれている今日ですから、当然そうしたものに味覚が慣らされていきます。意識的に求めない限り、いわゆる自然なものの味を知るすべもないかもしれません。

 自然な方法で栽培された原材料のみを使用し、添加物などの使用を極力抑え、自然な手法で作られた調味料、例えば味噌、醤油、酢、ケチャップ、マヨネーズ、ドレッシング、だし、スープなどと、そうでないものとを食べ比べをさせてみましょう。本来喜ばれるはずの自然的なものが嫌われるようでしたら、もうかなり味覚感知能力が犯されてきており心配だと思います。

 しかし、子どもたちには本来自己の生命維持向上の本能が備わっており、自然なるもの、健全なる生命力ある食べ物を求め識別する力が潜在的にあるわけですから、幼少のうちから、可能な限り自然なもの、本物といえるもの、まともな食べ物といえるものをせめて子供たちがわかるようにしていきたいものです。

 


ごらんいただいたことを大変ありがたく感謝します。


生命の農と食を考える
L A F 健農健食研究所 ラフ
L ife A griculture F oods

FAX :076-223-2005
mail :m.ikeda@ninus.ocn.ne.jp

池田 優

 

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