山ちゃんの食べもの考

 

 

その80
 
 
 私が食品添加物に無頓着でいられないのは、戦後の経済発展とともに食が豊かになったとはいえ、それが化学肥料や農薬とともに化学物質によって、食べ物がどんどん自然から乖離して行っていることです。
私が学校を出て食品関係の仕事についた昭和36年(1961)頃は、インスタント食品の新製品が目白押しに販売され出したころです。インスタント食品のみならず、あらゆる分野での加工食品が急増しました。
昭和28年に、東京青山に、日本のスーパーマーケット代1号店,紀ノ国屋が誕生しました。昭和30年代に入ると日本各地に、スーパーマーケットが雨後の竹の子のごとく誕生しました。
それまでは、予想だにしていなかった新しい食品が、次から次と爆発的に開発・発売され、セルフサービスの量販店を通して消費者に届けられました。
それらの大半は、工業化された食品工場で大量生産され、手頃な買いやすい価格で全国に流通される。そして、さらに大量に仕入れれば大量であるほど、仕入価格も安くなり、低価格で販売できる仕組みができました。急成長するスーパーマーケットを通して、大多数の国民に大量販売され消費されていく食品は、メーカーもスーパーマーケットも、覇を競って、いかに安く、いかに大量にと、価格と量を競う熾烈な競争が繰り広げられました。
現代技術を駆使した食品工場から、津波のように大量に送り出されてくる数々の食品は、乾いたスポンジに水を浸み込ませるように、モノ豊かさを求める大多数の国民の欲望を満たすべく、次から次と新しい簡便な食品が押し出されてきました。そして、それがやがて大量消費社会から大量浪費社会へとつながっていったのです。
それを支える背景には、また、次から次へと繰り出す食品添加物の認可と膨大な使用があったのです。多種多様な食品添加物が開発され、その大量使用が日本の食品工業を支え、モノ豊かな飽食日本を生み出したといえます。


 本物の食品を開発して販売普及を計りたいと、日夜、東奔西走する若い友人がいます。彼は本物作りを目指す真面目な食品会社とネットを組んで、最良の原材料を使って製造する、無添加の食品販売を行っていますが、一番の難関はアミノ酸等(味の素他)のうま味成分を呈する、科学調味料からの脱却であるという。
化学物質で人工的に作られ、均質化された味に馴らされた現代人の味覚に対して、自然の原材料のみで作り上げた本来の美味しさを、販売店のバイヤーや消費者にどのように伝えるか、評価してもらえるかが難しい。彼は、食品卸売業での経験から、一般に大量生産・販売される食品が、粗末な材料を使い、いかに多くの添加物を使った粗悪なものであるかを、いやというほど思い知っているから、真の食べものを求めて新たなる出発をしたのです。「念ずれば通ずる」で、全国各地には、伝統を守ってのよい食べもの作りに腐心する人も少なくはない。
 そこで、渡辺雄二氏著の『コンビニ時代の食品添加物』を中心に、決してまともとは呼べない、現代のほとんどを占める食品を作り出し、支えてきた背景にある「食品添加物」について、もう少し詳しく勉強したい。
渡辺氏は、その著書の中で、「今、ほとんどの加工食品には食品添加物が含まれている。食品添加物は食品ではない」と言い切っています。そして、「本来加工食品は、食品原料(長い歴史の中で食品と認識され、安全性が認められているもの)から作られるべきものである。その当然の姿を壊しているのが食品添加物だ。食品添加物が多い食品ほど質が悪い」と。


 食品添加物とは「食品の製造過程において、または食品の加工もしくは保存において、食品に添加、混和、浸潤、その他の方法によって使用するもの」と、
食品衛生法で明確に定義されています。
いわゆる、食品を製造するに当たって、食品にいろいろ混ぜ合わせることによって、保存性を高めたり、それらしく着色または色を良くしたり、製造しやすくする為に使われる添加物です。
 「食品とは本来、添加物ゼロのものが一番良いのです。そうすると、どうしても業者が製造に費用や時間がかかったり、保存性が悪くて広範囲に流通できなくなったりするのです」と渡辺氏は言う。
 すなわち、食品添加物は製造業者や流通業者、つまり、売り手の都合のために認可され使われているものであって、決して食べる側のためにある食品添加物ではないということです。
 医学博士の西岡一氏も、「食品添加物はすべて、生産者、流通業者の利益を確保するものであって、私たち消費者に役立つものではありません」と明言しています。


 私は、以前に、農水産物にしろ畜産加工品にしろ、一般加工食品にしろ、多くの食べ物が、同じ名前で出ていても、20年、30年、あるいは40年、50年前と比べて、たとえ姿形は同じに見えても、その中身は似て非なるものが多い。歌の文句ではないが、「昔の名前で出ています」、が多いから注意が必要だと述べました。
日本子孫基金事務局長の小若順一氏は、『気をつけよう食品添加物』の中で、
「いま、あなたが食べている食品は、5年前、10年前と比べて、品目や見かけ上は変わっていなくても、食品の原料や製造方法の変わったものが含まれていることは間違いない。食品の見かけが変わらずに中身が変わっている場合は、食品添加物も変わっている。食品添加物が、別の原材料を同じ食品に化けさせたのだ。食品添加物は、同じものが同じ食品にずっと使い続けられるとは限らない。いや、ひそかに変わり続けているといったほうが正しい。もちろん、食品の見た目が変わっている場合は、食品添加物も違ったものになっていると思って間違いない」と述べている。
 このことは、加工食品のみならず、農産物や海産物、畜産物においても農薬や薬品等が使われることが多く、「昔の名前で出ています」が大半を占めているといえます。そうした原材料を使いさらに添加物を多用した加工食品には、十分注意すべきだとおもいます。


 日本で食品添加物が本格的に使われるようになったのは、戦後の1947年(昭和22年)に、食品衛生法が制定されてからのことだといいます。この法律によって食品添加物が定義され、翌1948年(昭和23年)に、初めて60品目の食品添加物が指定されました。
 このとき指定された主な食品添加物には、安息香酸(保存料・危険度4)、安息香酸ナトリウム(保存料・危険度4)、過酸化水素(漂白剤・危険度5)、L―グルタミン酸ナトリウム(調味料・危険度3)、サッカリンナトリウム(甘味料・危険度4)、次亜硫酸ナトリウム(漂白剤・危険度4)、酢酸、赤色2号(着色料・危険度5)、赤色3号(着色料・危険度4)、赤色14号(着色料・危険度4)、赤色105号(着色料・危険度4)、赤色102号(着色料・危険度4)、黄色4号(着色料・危険度4)、黄色5号(着色料・危険度4)、緑色3号(着色料・危険度4)、青色1号(着色料・危険度4)、青色2号(着色料・危険度4)、ミョウバン(補色剤・膨張剤・危険度3)などがあります
( )内の数次は渡辺雄二氏の食品添加物の危険度を5段階に分類したものです。5=極力避けるもの、4=できるだけ避けるもの、3=出来れば避けたほうがよいもの、2=避けられれば避けた方がよいもの、1=安全性が高いもの、です。
 このとき指定されたものにはタール系の色素や保存料が多く、戦後の混乱期に食糧事情が悪かった為、食品の腐敗を防ぐとともに、美しい色を保ち、食品の流通期間を長期化することで、食糧不足を少しでも解消しようとしたものであろう、と渡辺氏は述べています。


 食品添加物の指定や取り消しを決めるのは、厚生労働大臣の諮問機関である「食品衛生調査会」で、危険な食品の販売禁止や食品添加物の指定や取り消しなど、重要な事項についての審議をする重大な役割を担っています。その調査会のメンバーは、学識経験者の中から厚生労働大臣が選んだ40名の委員で構成されます。
 1948年(昭和23年)、日本ではじめて食品衛生法に基づく食品添加物が指定されたのですが、当時は60品目でありました。 
 その後次第に増えて息1956年には106品目に増えました。そしてその後一気に増大して行きます。翌年の1957年には186品目に、その翌年の1958年には206品目、1963年には311品目、1970年には最大の356品目。わずか20年余りでわが国の指定される食品添加物が6倍に急増しているのです。
 その後食品添加物の毒性に関する研究が進み、発ガン性や催奇形性の疑いから指定の取り消しがあったり、新たな指定品目があったりで、2001年3月現在では、338品目の合成食品添加物の指定品目となっています。他に489品目の天然系の非合成食品添加物が認定されています。


 1960年(昭和35年)代から、日本は高度成長時代に入りました。それとともに食品添加物の指定品目も急増していきました。他の産業同様に、食品も手づくり家内生産から、工業的な仕組みが取り入れられ、工場で大量生産されるようになりました。工業化する食品の大量生産には、必然的に多くの食品添加物が必要となってきたわけです。
 さらに渡辺氏は、「一番わかりやすいのはパンで、工場で大量に焼くパンには、どうしてもイーストフードが必要で、実はこれはふくらし粉であり、いわゆる添加物である。化学物質のカタマリの膨張材である。これを混ぜることで、工場で大量に、ふっくらしたパンが焼けるようになったのだ」といいます。
 渡辺氏が『買ってはいけない』で最初に取り上げたのが、某メーカーのクリームパンで、多くの添加物が使われており、本当のパンではないと言っています。多くの食品添加物の力を借りて、食品が工場で大量生産されるようになってきました。


 アメリカで発ガン性の疑いがあるとして使用禁止になった人口甘味料に、チクロ(1969年使用禁止に)があります。チクロは日本でも安価で食品に甘味を持たせることができるため、多くの食品製造に使われてきたものである。
 私が食品販売業に携わった当初には、オレンジ、ブドウ、メロンなどの粉末ジュースが売れに売れていました。わずかの粉末に水を加えるだけで、甘いフルーツジュースが味わえるのである。これに含まれていたのが人口甘味料のチクロでだったのです。
 豆腐や魚肉ソーセージに使われていた殺菌効果の強い防腐剤のAF―2も、発ガン性の疑いがあるということで、幾多の論議が交わさせた後、1974年になってようやく指定取り消しとなり、使用禁止となったのです。
 その後も、いくつかの食品添加物が、発ガン性や催奇形性などの毒性の疑い有りとして、指定が取り消されています。


 日本では収穫後の農産物に防腐・殺菌などの目的で農薬を散布すること、つまり、ポストハーベストは禁止されています。
 ところが1977年に、その収穫後の農産物の防カビ剤として使われている化学薬品、OPP(オルト・フェニール・フェノール)が、アメリカの圧力によって、なんと、食品添加物として厚生労働省が認定・指定したのです。さらに翌年には、同じ柑橘類の防カビ剤として、TBZ(チア・ベンダ・ゾール)が指定されました。これらは、輸入の生鮮オレンジやレモン、グレープフルーツに使われている危険な物質なのです。外圧によって指定された輸入柑橘に使われているOPPやTBZは発ガン性の疑いありとして、食品添加物の中でも最も危険なものとして分類されているのです。だから私は、これら輸入柑橘類は一切口にしないし、知人には、子供たちに絶対食べさせるなと話しています。
 このOPPは、アメリカでは収穫後に使用できる農薬として許可されているのです。ところが日本では、収穫後の農薬使用は違法であるから認可できない。厚生省はアメリカの要求を受けざるを得なくなり、圧力に屈して食品添加物として許可することになったイワクつきのものです。発ガン性が指摘され問題になっていますが放置されたままです。
 あのカズノコを美しく漂白するために使われている漂白剤の過酸化水素も、強い発ガン性の疑いがあるとして、最も危険な添加物に中に分類されています。この過酸化水素はカズノコに限って使用が許可されているもので、最終食品に残留ゼロが条件です。
 2001年現在の食品添加物の指定は331品目となっていますが、これら食品添加物は、食品製造メーカーにとっての有利性を考慮したものであって、食べる人にとっては百害あって一利なし。危険な添加物を使った粗悪な食品は買わないことでしか、日本の食をよくすることが出来ないのです。






 

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生命の農と食を考える
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池田 優

 

 

 

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