山ちゃんの食べもの考

 

 

その86
 

 さて、食べものは、あれが悪いこれが駄目ということではなく、なにをどう食べるかという先人が築き上げてきた知恵があります。日本人はなぜ長寿国になったのかを近藤正二先生の著書から少し学んでみましょう。
 東北大学の名誉教授であった故人の近藤正二博士の著書に『日本の長寿村・短命村』(サンロード出版)があります。日本各地には長命者がたくさんいるところがあります。その一方で長命者の少ないところがある。近藤博士は、現地に足を運んで、なぜこの土地には長生きする人が多いのか、又この土地にはなぜ短命の人が多いのか、その原因を研究していきました。近藤博士は、北は北海道の端から南は沖縄の八重山群島のすみずみに至るまで全国津々浦々の市町村990ヶ町村の現地調査を行いました。博士は、長年、東北大学医学部で専門の衛生学を研究しているうちに、日本人の長生きの問題に目をつけ、「なぜ長寿村なのか、なぜ短命村なのか」、その研究は昭和2年ころからはじまり、定年後も16年間、リュックを背負って全国を駆け巡る実地研究は、約40年間の長きにわたるものでした。
 近藤博士は、政府が発表する平均寿命ではなく、「長生きする人が多いのか、少ないのか」を問題にし、人はせめて70歳以上までは健康で生きてもらいたいという願いから、満70歳以上を超えると長生きとしました。そして70歳以上の人が多くいる村を長寿村とし、若死にが多く満70歳を超える人の少ないところを短命村としました。
 「そうした比較をして驚いたことに、日本はヨーロッパの文明国と比較して、70歳以上の人が半分しかいなかったのです」と述べています。
 近藤博士は「物事は机上で考えて結論を出してはなりません、実地に、実例を集めてみなければ結論を出してはいけない」と、36年間、全国くまなく、長生き村と短命村を訪ね歩き、実地にとらえて、一つの結論を得ました。それは、
 「長生き村になったのも、短命村になったのも、一番の決め手になる原因は、若いころから、長い間、何十年という間毎日続けてきた食生活にあります。一言でいうならばそういう結論です。これは私自身、食生活は関係ないとは思いませんでしたが、まさか決め手になる原因とは、私自身も予想していませんでした」と述べています。
 「短命食」とはどんな食事なのか、「長寿食」とはどんな食事なのか。『新版・日本の長寿村・短命村』の解説を書かれている萩原弘道氏は「(魚の切り身を含めて)肉食重視が長寿村になるのではなく、やはり近藤正二先生の口述された長寿村への道こそが正しいことがよく理解されたのでした。」「そして近藤先生のお話の内容は、昭和46年現在のお話ですが・長寿村・短命村は何が原因かという真理は当時も現在も変わりない」と述べています。
 この『新版・日本の長寿村・短命村』から、近藤先生の述べるポイントにいくつかを抜書きご紹介しながら、現代の食のあり方について考えてみたいと思います。


 近藤正二先生が40年間かけて全国行脚しながら実地調査した長寿と短命のお話の中から具体的な事例を学んでみましょう。
 「酒を飲むところは短命で、秋田県の人が日本一短命なのは、どぶろくを飲むからだ」などというので、特に酒を飲むという評判の村を調べたところ、むしろ短命村が少なかったのです。(たとえば高知県・足摺岬の村など、酒飲みの評判は高いが案外短命ではなかった)その影にはなにかがあるはずだと先入観を白紙に戻して、あらためて調べ始めたのです。
 「重労働のところは早く老化して長生きしない」ともいうので、労働過重だといわれる村を探して調べました。ところが相反して、むしろ長寿者の率が多かったのです。
 特に秋田県の米どころにあって、若いころから白いご飯を大食する村で、塩辛い大根やなすの味噌漬けなどをおかずとしているところでは、40歳ごろから脳溢血で倒れる。そうした村は農村でありながら畑を全然作らず、野菜さえ不足しています。真っ白いご飯を美味しく食べるには、塩気がないと大食できないのです。
 日本人の健康な命を支える米も、野菜を食べず、真っ白にしたご飯ばかりを大食することには、「江戸わずらい」で知られるように、大きな問題があります。全ての日本人が毎日白いご飯を食べるようになったのは、そんなに歴史の遠いことではありません。



 同じ日本で、同じような地域でありながら、長命村と短命村がある。それが巷間に伝えられていることとは必ずしも一致しない。近藤博士は、現地に赴きどこまでも実地見聞によって事実を明らかにしていきました。
 新鮮な魚を食べられる漁村は、空気はきれいで長生きだろうといわれるが、そうは簡単にいかないようです。「畑をもたない北海道の漁村のように、魚ばかりたくさん食べて、野菜の食べ方がきわめて少ないところでは、動物性蛋白質を十分とっているから、身長がよく伸び体格は立派で体力もありますが、残念ながら魚ばかり大食してきた人は、40歳を過ぎると狭心症、心筋梗塞、心臓麻痺などの心臓の病で亡くなっているのです。」
 野菜や大豆を摂らずに、米と魚を大食する地域では、日本人の長生きの妨げとなってきたといえましょう。
 暖かく真っ白いご飯が食べられるようになってきて、おいしいからといって大食する。新鮮な刺身が旨いからといって毎日食べる。必ずしも玄米を食べよとは言わないが、精白し過ぎないがいい。動物性蛋白質は口に旨いがくれぐれも食べ過ぎないことだ。
 若い頃ラグビーをやり立派な体格の大食漢であった上司が40代前半、会議中に突然脳梗塞で倒れ帰らぬ人となった。若い頃に運動をやっていたという丈夫には、風邪をはじめいろんな病気に罹りやすく、薬を手放さないという虚弱な体質の人が案外多い。聞いてみると大概は食に原因がありそうだ。それにしてもよく食べること。


 近藤先生は同じ魚を食べるにしても、どんな魚をどう食べるかで長命か短命かに分かれると述べている
 「魚でも、切り身を食べるところと、小魚を食べるところでは、小魚の方が長生きする。」と述べています。石川県と福井県の県境にある塩屋村では、付近の漁村の中でも断然長生きが多く、漁村でありながら、小魚しか食べない長命村です。その理由が面白い。塩屋村では「女が欲ばっていて夜明けに漁から男たちが帰ってくると、女が売れる魚を一匹も残らず朝市へ売りに出かけてしまうのです。そして買い手のない小魚だけを家に持って帰る習慣があるのです。」だから刺身や切り身を食べることがないという。

 最近のスーパーでは骨付き丸ごとの小魚を見ることは少なくなってきました。ほとんど売れないからです。こうした魚は大衆魚と呼ばれ、調理でも依頼されれば手間暇ばかりかかってお金にならないのです。それにウロコを落とすことも出来ない人が増えています。かりに、骨付き頭つき丸のまんまの小魚を塩焼きしても、もう子供ばかりでなく大人も上手に食べることができなくなっているこのごろです。子どもに魚の絵を描かせるとパックに入った切り身を描くというから笑い話にもならない悲劇です。
 刺身だのフライだの塩焼きだのといっても、それは大型魚の切り身で、部分食になります。しかも手頃な価格で売られている美味な魚の多くの魚は、もうほとんどが穀物や魚粉・家畜粉を混合した人口飼料で育てられ、抗生物質を与えられた養殖魚といっていいでしょう。頭から骨まで丸かじりできる小魚こそ、もっとも理にかなった命の食であるのに……。




 

ごらんいただいたことを大変ありがたく感謝します。

 

生命の農と食を考える
L A F 健農健食研究所 ラフ
L ife A griculture F oods

FAX :076-223-2005
mail :m.ikeda@ninus.ocn.ne.jp

池田 優

 

 

◎ ご意見、ご教示はこちらまで    掲示板も御座います。是非ご利用下さい。→ 掲示板

最新号へ戻る